みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
早いもので、場面緘黙症と共に育つ私の娘も、この3月には小学1年生の全ての課程を無事に修了し、来月からは小学2年生へと進級します🙌この年度の終わりに、私は娘の入学からの1年間を振り返りたいと思います。
一言で言えば、本当に健やかに、穏やかに、娘はこの1年間を過ごすことができました。それは温かな小学校の先生方のご配慮と、お友達にも恵まれて、そして何より娘自身の頑張りの成果であると思っています。求めていた“環境”というものに、私たちは恵まれたことを実感します。娘を支えてくださる全ての方に、心から感謝を申し上げたく存じます。
場面緘黙症(selective mutism)というものは、今なおあまり知られている障害ではありません。発語がない、特に家庭の外で他人と会話をしないことが目に見えやすい症状です。しかしながら、この症状の認知度の低さのためでもあり、そして緘黙児は教室内や周囲に迷惑・危害を加えることは決してないので、大人は子供が苦しんでいることに気づきにくく、本人の苦悩が見過ごされてしまうケースが多々あります。
場面緘黙症は、不安症に分類されます。他人とコミュニケーションを取れないという、その症状の本態は強すぎる不安に他なりません。そう、お話し「しない」のではなくて、緘黙児は「話したいと思っているし、話せないことに悔しさもまた感じているが、それでもどうしても話せない」ということを、接する大人は必ず理解しなくてはなりません。
これを書いている私自身も、子供の頃には場面緘黙症を有しました。だけど私は時代柄地域柄、支援の環境には恵まれず、その症状を自分が悪いのだと思い込んでずっと育ってしまいました。身近な大人からの叱責や失望を感じ取ってしまうし、悲しい記憶です。幼い子供にとって、場面緘黙症は、健やかな心の成長にも影響を及ぼしてしまうものであると考えます。
そんな私も親になり、私は私の娘にもまた、かつての私と全く同じあの症状が見られることに、娘がまだ幼いうちに気がつきました。
ショックでした。娘も私が経験したような辛い思いをしていくのかと思うだけで涙が出ました。他の要因も重なって、私は親になってはいけない、子供を持ってはいけない人間だったのではないか、私が持つすべての素因は親を選べず生を受けた子供を苦しめるばかりではないのかと沈み込むほど、私の心は塞ぎました。
それから私は、この症状は、場面緘黙症という疾患名がついているものであることを知りました。やっぱりこれは“障害”とされるものだった、私が悪いわけじゃなかったのだと私自身は大人になってから知りました。
“娘には、私と同じ思いをさせたくない”
私の目は、真っ直ぐに前を向きました。今の私が持つ力の全てで、できるだけのことをしてやりたい。
ただその一心で、私は学び、自身の実体験に知識を重ねて理解を深め、私は娘の母親としてできるだけのことをしてやるのだと精一杯に娘の場面緘黙症に向き合ってきたつもりです。その経緯は、当サイトに少しずつ記録してきているとおりです(↑)。
当サイトでは書ききれなかった、幾多の出来事もありました。支援者や指導者との出会いにも恵まれました。娘が年長さんの時でした。私たちは娘の就学環境を考え続ける中において、ふと、親の肌感覚が動いたとでもいうのでしょうか、ある温かい校風の私立小学校に奇跡のように出会いました。
家庭の外では全く話せない娘が、その学校では小さい声でも話したことは、“環境”というものが持つ力の大きさに驚きました。私も夫も地方都市の育ちですので、私立小学校の受験のことは全く何も知りません。それでも精一杯に手を伸ばし、さらに奇跡のような合格通知をいただいて、娘はそちらの学校で小学生生活を踏み出すことになりました。それが昨年の出来事です。
それからもう1年もが経ったなんて。時間の流れの速さに私は驚きます。この間我が家は転居を2回もするなどして、慌ただしかったのもそうなのですが、当サイトでも彼女の様子を記録する機会は著しく減っていました。
そう、私が彼女のエピソードを紹介しなくなったのは、彼女の小学校生活が、めちゃくちゃ順調だったからでした。

確かに、入学直後には、娘の担任教諭からご指摘を受けたことはありました。

娘さんは、声がとても小さいですね。挨拶も返してくれないことがあります。
ええ、当然のご指摘であったと思います。私は受験時にも入学前にも、就学する学校に娘の場面緘黙症に関することを一切お伝えしていませんでした。だけどそれまでの療育機関や支援者にはしっかりと申し送りの資料を作ってもらっていたので、私はそれらを入学後の最初の保護者面談の機会において提出し、ようやく学校に娘の状況を伝えることになりました。

それでも全く話せていないわけではありません。返事はするし、国語の音読もできています。お友達との関係性も良好です。素直で愛らしい笑顔は周囲に良い印象を与えていますし、上級生にもよく可愛がられています。

私が特に印象的なことは、娘さんは授業中も本当にキラキラした目で話を聞いていることです。こちらのお話を本当によく聞いていて、定着も良く、学びを楽しんでいる様子がよく伝わります。成長が楽しみなお子さんです。

それからも、娘の小学校生活は何事もなく、順調でした。

頑張り屋さんです。運動会の練習でも徒競走をしっかり頑張っていますよ。悔しがる姿に成長を感じます。マラソンもよく走っていますし、最近は挨拶もしてくれます。日直での号令も、教室にしっかり聞こえる声量で言えています。

お母様は緘黙のことでご心配がおありだと伺いますが、学校ではいろいろな役を任せたいと思うのですが、よろしいでしょうか?

挑戦の機会を与えていただき感謝いたします。私どもも、娘は力のある子だと思っています。家庭でもフォローをしていきます。
そうして娘は運動会の種目の中で1年生代表を務めて旗を持ち、また、上級生が演じる劇では1年生の中で数人だけが参加する補助役に選ばれるなどもありました。放課後に居残って、上級生とともに劇の練習に励む娘はとても楽しそうでした。

この頃には、私は不思議な感覚を持ち始めました。

…。私は、何を心配していたんだっけ?あんなにも心配していたのはなんだったの?
日々の学校活動でも、持ち回りでグループの班長を務めたり、お友達同士で相談しあって、主体的に関わっていると聞きました。あぁなんと、なんと平和なことであろうか。特筆すべきことがないのです。娘は毎朝元気に学校へ出掛けて行って、放課後にはニコニコ帰って来ます。提出物も宿題も、日々の登校準備も全て娘は進んで自分でやっていて、担任教諭も仰るように学校でのお話を本当にしっかり聞いてくるので私が口をだすこともありません。
クラスメイトも穏やかで優しいお子さんが多いようで、授業参観などで見にいけばコロコロと子犬のようにじゃれ合って笑いまくって遊ぶ様子が本当に穏やかで微笑ましい。クラスメイトだけでなく、上級生ともお手紙の交換をしたり、折り紙の作品を贈りあったりする様子は、本当に『微笑ましい』としか言えないのです😭
最近に行われた進級前の面談でも、担任教諭からこのようなお話がありました。

学習も生活も、何も言うことはありません。立派な2年生になるでしょう。

…強いて言うなら、ですけどね、専科の教員から娘さんについてこのような指摘が出たことがあります。
『体育の時に背の順で並ぶとお隣がとても仲良しの子になるのは分かるのですが、ふざけ合ってしまってお話が聞けていないことが時々あります』ということです。

まぁ、なんと微笑ましいことでしょうか😭(←ソウジャナイ、笑)
私のこれまでの心配は、一体なんだったというのだろう。私は何をこれまであんなに心配させられて来たのだろう。私の心のやり場がなくなってしまうほどに、娘は本当に平和で穏やかな、実り多き1年生生活を過ごしました。
もしも何かが掛け違えば。
娘は一人で教室内で無言で過ごす、促されても声が出ずに無表情でどれだけでも立ち尽くす。そんな未来も高い確率であったであろうと思われます。
私が過剰に心配したのは、私自身が子供時代にそんな経験を重ねたからに他なりません。私には顔が引き攣るチック症の症状もあったために、私は机に顔を伏せて過ごす時間も多い子でした。私自身がそんな子供時代の実例でした。
だけど今の娘には、そうではない未来が拓けました。娘は安心して自分らしく過ごせる環境に巡り合い、私よりもずっと早い段階で彼女らしい人生の基盤を作る大きな一歩を歩き出したと、今の私は確信します。もちろんこれからも何が起こるかはわからないし、私はずっと心配だけはし続けますが、今の朗らかで明るい笑顔の娘を見れば、いくらかの安堵感、そして「これからこそ頑張れよ!」という、きたる未来を楽しみに感じる気持ちが実感できる気がします。
児童精神科への通院も、この冬には卒業となりました。当初の診断では、娘の緘黙は中等度〜重度と言われ、就学に際し周囲の理解を求めやすくなるからと主治医からの勧めを受けて所持した精神障害者保健福祉手帳ももう、返納の運びとなりました。

場面緘黙は一般的に、長い時間をかけて乗り越える障害です。今の娘さんの成長は驚くほど早く、これまでの私の経験でも間違いのない最短記録です。
もう通院も卒業にしましょう。もちろんお困りの時にはまたいつでもきてくださって構いません。
その日の娘は、診察室内で真面目な面持ちながらも足をブラブラさせているわ、医師の机上のカレンダーを勝手に触るわ、お返事も、笑い声も自然に出せる、子供らしい子供でした。固まってしまった初診の時にはとても想像できなかった、親である私さえ目を疑うとても自然な光景が、今の診察室にはありました。

私は娘に聞きました。

ねえ、場面緘黙はもうやっつけちゃった?
娘はシレッと言いました。

だいたいね!でも、ご挨拶はまだできてないからまだ完全にはやっつけてないと思う。

学校の先生は、最近はご挨拶もしてくれるって仰っていたよ?

おはようって言われたら、言える。でもまだ自分からは言えてない。

そうかー、そういうもんなのかー、もう一息なんだなー。

そうなんだよー、もう一息なんだけどねー。
まぁそれも、いずれ近い将来にきっと乗り越えられることでしょう。今のあなたがそうであるように、健やかな心で育つことが一番大事で、ご挨拶も自己主張も、そういうものは後から自然とついてきます。
大丈夫だよ、あなたはいつでも100点満点、私たちの宝物!😊
私はずっとそう娘に声をかけ続けて来たけれど、今もそう、何度でもそう言ってやりたい気持ちです。
最後に、最近のサプライズを紹介したいと思います。
娘が通う小学校では、「給食の日」とたまに「お弁当の日」があります。この3月の、1年生最後のお弁当の日だった日の夕方に、キッチンに下げてあった娘のお弁当箱には、こんな驚きがありました。


私もこの年齢になり深く理解したことですが、“感謝”の横にはいつも“喜び”が共にいます。日々の感謝を感じる瞬間は、いつでも喜びが伴いますよね。
私は娘からのこのお手紙を目にした時、あぁ、娘は本当に喜びに溢れた学校生活を過ごしているなと心から確信できて、じんわりと嬉しくなりました。
あなたは私のとても大切な子で、宝物。学校でも素敵な時間を過ごせているのね、だからこんなに温かい心で感謝を表せる素敵な子に育っているのね。あなたがとても素敵な子だって、周囲にも知ってもらえているんだね。
娘の場面緘黙症の克服に向けて綴って来たこの一連の記録シリーズは、もう書くことがありませんし、さらなる娘の健やかな成長への祈りを込めて、今回をもって(一旦は)最終回といたします。そう、困難からの発信は、しなくても良い状態になることがゴールです。
当サイトの記事の中でも、この場面緘黙シリーズは読んでくださる方が毎回とても多くいらして、今まさに、そしてこれからも対応に向き合っておられる保護者や同志の皆様のお顔が思い浮かぶような思いで書いてきました。そのような皆様の励みになれば幸いです。
今の私が思うこと。
緘黙に限らず、なんらかの困難を持つ子の成長を支えることと、環境探しはとても難しい挑戦です。だけどそれでも、一生懸命に手を伸ばし、強く強く求め続ければある日ふと、奇跡のように巡り会えるかもしれません。
言い換えれば、心から懸命に向き合い続ける親子にしかその奇跡は訪れないとも言えるでしょう。
母娘の2代にわたり苦しめられた場面緘黙症の克服を目指して、娘を想い、懸命に駆け抜けて来た私たちのこれまでの時間は全力でした。そうして娘は奇跡に出会い、未来へと続いていくであろう一歩を確かに踏み出すことができたのだと思います。
だけどそれは、私が踏み出したものじゃない、私はたぶん作用点を探し見抜いてポイントを押さえることはしたけれど、これは私の人生ではないし、私の成果でもなんでもない、私がすごかったわけじゃない。
すごかったのは共に歩んだ娘の勇気、人との出会い、そしてやっぱり“運が良かった”ってことなんだろうと思います。全力で、精一杯に伸ばしたその手の先に、かすかに触れた幸運に、私はやっぱり奇跡というものの存在を感じずにはおれません。
この幸運に出会えた感謝を胸に携え、私はこれからも娘の娘らしい成長を、ちょっとだけ安心して見守り続けていくつもりです。彼女の笑顔が宝物。
私は親になって良かったです。手のかかる息子と娘に出会い、その成長を目の当たりにし、幸せな親でいさせてもらって、ただただ感謝しかありません。
ーーー書籍紹介ーーー
たくさんの書籍を読みました。中でも以下の書籍は何度も読み返しました。緘黙理解に、まずはどれか1冊を読んでみて欲しいです。
ーーーご案内ーーー
📢このたび、ギフテッド・場面緘黙症・発達特性を持つお子様と保護者のための個別サポートプログラムの提供を考えています。
当サイトの公式LINEからご案内する予定です。ぜひご参加ください(↓)
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