みなさんこんにちは✨
これは少し前のことですが、私が外部の方と面談をしている際の出来事です。私は先方から尋ねられたなんでもない質問にも関わらず、なぜか戸惑いを隠せなかったし色々なことを考え巡らせ過ぎてしまって即答できなかったということがありました。
これは私の特性なのかもしれません。そしてこれは私の息子にも当てはまることのようにも感じました。皆さんはいかがお感じでしょうか?
その私が答えられなかった質問は、こんなようなものでした(↓)
子どもと遊ぶことは、好きですか?
もちろん、私も察しました。
先方にしてみりゃここはきっと『イエス!』と力強く答えて欲しいという、そんな場面だったと思っています(←この時はそういうシチュエーションでした)。
だけどこれに対する私の回答は、極めて歯切れが悪かった。
え、まぁ、好きっちゃ好きで…ええ、嫌いではないとは思いますが…。
どっちやねん。何を言いたい、何かを隠そうとしてるのか?笑
先方にしてみりゃ、きっとそんな不穏な印象を受けたのではないだろうかとは思われますが、
それでも私なりに言わせてもらうならば、これってものすごく難しい質問だったと思うのです、私には。
こういう割と漠然とした質問に、正確に答えることって本当に本当に難しい!
その瞬間の、私の頭の中はこうですよ(↓)
(子供と遊ぶのは嫌いじゃないよ、きっと楽しめると思ってる。
だけどそれって遊ぶ子供が誰かに依るよね、自分の子供と遊ぶのは好きでも自分にも家事やら色々やらなきゃいけないことがあるから「いつでも遊ぶの大好きです!」とは言い切れないし、よその子であれば初対面なら信頼関係の構築から始まるだろうし、やんちゃな子やウマの合わない子と遊ぶのはかなり大変だ、仮に仕事であれば頑張るけれどどこまでやるかはその時次第になるだろう、そもそも何をして遊ぶかにも依るよね、この時期だったら真夏の公園で鬼ごっこをしようとか言われたらかなり嫌だし子供達の安全と命を守る責任だって発生するし、そうだよその場の責任や裁量はどれほど自分にあるのかにも依るのだし、そういうことって一概にはなんとも言えないことのはず。そういえば直近で『子供と遊んだ』のはいつだっけ?あの時は誰とどこで何をしたのか?あぁ息子の友達のRくんと遊んだか、あれは確かに楽しかった、だってR君はすごく明るい良いお子さんだしママもきちんとした人だしね、ではそれ以外の子供の場合はどうだろう?🤔…以下いろいろ頭をぐるぐる巡る)
そうなのです。
こういうものは一概にはなんとも言えないことであり、間違いのない回答をするには色々なことを検証して総合的に捉えることが必須なはずです(←めんどくさい人間ですみませんね😅)。
だから『子供と遊ぶのは好きですか?』って聞かれた時に、たとえ『好きだ』と答えることが望まれていると頭では理解していたにも関わらず、そこで発動するのが、
“無責任なことは絶対に言えない”
という私独自の(?)謎の壁。
先方にしてみれば、そこではっきり言葉を出せない、なんなら言葉を濁そうとするようにも見えた私の印象は良くなかったのだろうなとはわかっています。だけど私にとっては後々責任を持てないかもしれないことを発言するのはとても勇気の要ることでした。だからどうにも言えなかった😭
もしも、
二つ返事で『はい、大好きです!』って答えられる人がいらっしゃるならば、それは本当にすごいと思うのだけど、どうだろう?
本当にいつでも大好きか?誰とでも?自分の体調が悪くても?
本当に!?
私はそこを突き詰めずにはおられないと思うのです。
たぶんですが、そんな話題を出した先方はそこまで詳細な回答を欲しいわけではなかったのだとは思います。サラッと印象程度にさ、どんな感じ?って具合なんかを聞きたかっただけだろうと私も理解はしています。だけどそんな単純なことを無駄に複雑に捉えてしまうのが、時々ですが私に起こるコミュニケーションの難しさかもしれません。
加えて、似たような話でこんなこともありました。
私は『そろそろ就職でもしようかな〜』と考えたこともありまして(←すでに諦め気味ですが😅)、これまでずっと研究者だった私は就職活動というものをした経験がないために、私はここはまず情報収集が要るであろうと区が開催している女性仕事セミナーなどを受講したことがありました。
その際に講師の方が仰ることに、再び私は考え込んでしまいました。
志望動機では、とにかく仕事への熱意をアピールします!
熱意を、アピール…?
わかるのだけど、それはまた難しいなとその場の私は考え込んでしまいました。
たとえばですよ。
是非にもやってみたい、やらせていただければきっと成果も出せると思う、そういう仕事があったとしてね。
だけど私が言えるのは、
できる限り一生懸命やらせていただく所存ですが、家族の健康や状況次第ではお休みをいただくなどできないこともあることを否定することはできません。
ってことが精一杯なのが実情ではないかと思うわけ。だって未来は誰にも絶対わからない、何が起こるかわからないのが常なのですから、無責任に熱意だけを押し付けることはできません。(←本当にめんどくさい人間ですみませんね😅)
だけどこれって聞いてる側からしたらとても頼りない返事に違いないよね😅わかっています、わかっていますとも、それでもさ!
熱意をアピールしたいことは山々だけど、だけど気持ちとは別に時と場合によってはその熱意は保証できないかもしれないよという可能性がある時点で、私には熱意満々のアピールはやっぱり難しいと思ってしまう。私には、それはすごく勇気が要ることです。
また、昨年にはJAXAにおいて宇宙飛行士候補の公募がありました。その時に見たニュースにも私は緊張感を覚えました。
(原文が見つからなかったので私なりの解釈ですが)そのニュースでは、その選考過程に関して、
“志望動機には宇宙への強い情熱が語られている応募者がすごく多い、宇宙飛行士になるために生まれてきた、宇宙飛行士にならないと生きていけないと書かれているものもありましたね。”(←確かこんな感じで書かれていました)
熱意はとても伝わります。
しかし我々はたとえ宇宙飛行士にならなくたって生きていかなくてはならないし、なれなかったからといって生きていってはいけないわけでもなかろうに。
私はそう不思議に思って混乱してしまうのです。
もちろんそのニュースの一文は『それくらいの気持ちである』という誇張の表現であると解っちゃいるけど、私にはきっとそうは書くことはできないだろうなと思いました。怖くなっちゃう。
あとはさ、『死ぬほど好き』とかもですね。でもあなた死んでないじゃん、どういうこと?って私の頭には途端に『?』が浮かびまくって、胡散臭い上にさらにはなんだかゾワゾワと嫌な気持ちを感じてしまう。
ちなみにですが、似たようなことは息子にも時々見られます。私が美容室で髪を綺麗にしてもらって、美容師さんに『きれい、若い』ともちろんお世辞でも褒められたとしてですよ、そこに居合わせた息子に私が、
ねえ、お母さんも後ろから見たら30代に見えるでしょ?♪
と軽口でも叩こうものならもう大変😅
30代の人の後ろ姿なんて全員のことは知らないよ!答えられるわけないでしょ!!
ええ、私も自分が厳密に30代にしか見えないかどうかを問うたわけではないのです😅だけど彼の怒りっぷりは凄まじかった😅
『そうだね〜、ハイハイ😩』
って流してでもくれれば良いものを、そういうことは我々には難しいことであるという、そんな例だと思います。ごめんよ、息子😅
私たちの、特性なのかもしれません。
子どもと遊ぶことは、好きですか?
それは時と場合によりますので、一概には答えることはできません。
どのくらいのワクワク感ですか?
自分なりにはかなりワクワクしておりますが、その大きさは直接測れないので言い表すことは難しいです。
どんなことに貢献できますか?
具体的作業は始まってみないとわからないし進みながら決まっていくと思うので、今の私に問われてもこれだと答えることはできません。また、ここで何か言ったとしてもそれだけにしか貢献できないわけでもありません。私には得意分野はたくさんあるので、どんなことでもやればできるだろうとは思いますが。
問う側からしてみれば、『なんだかズバッと返ってこないな』とか『ソウジャナイ』って感じだとは解っています。だけどやっぱり振り返っても、その時はこれが私の返答の精一杯だったのだろうと思います。
世の中には、本当に上手に自己アピールできる方々がたくさんいらっしゃると思います。素晴らしいスキルです、羨ましいです😭
それなのに、
私はなぜか言葉の重さばかりに囚われてしまい、なんともスムーズに進められないことがあることを歯痒くもあり、もうちょっと上手に振る舞えたら良いのにな…と我が事ながら難しさを感じる部分だろうと改めて感じています。
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