みなさんこんにちは✨
さて、今日のこの『標題』ですが、この言葉はもう、この半年ほどの間に私は一体何度言われてきたことでしょうか🤣会う人、話す人、さらには今勤めている仕事先の方々にまでも、もう本当に何十回とも聞かれてきたかもしれません🤣
なんでお前が大型免許?大丈夫なの?笑。
どうして!?何があったの?いったい何を目指しているの!?
そんな友人たちのみならず、私はせっかく取得した大型免許を使った仕事をしたいと思い立って履歴書を書き、面接に行った先方にもそう言われたことさえありました。
博士号?えっと…素晴らしい経歴で大変驚いているのですが、なんでまた今回は大型免許を取られたのですか?
ドライバーではありませんが、内勤の正職員の募集もしておりますがいかがですか?
私はこれまでたまたま別の領域で生きてきたというだけで、素晴らしいと言われることは何もありません。今はドライバーをしたいのです。ドライバーとしての経験は未熟ですが、精一杯丁寧に務めますので、どうぞお願いいたします。
そうして私は念願叶い、この秋頃から大型車の運転をするパートタイムの仕事も始めることができました🙌
私は昨夏、半ば思いつきのような形ではありましたものの、一番大きなトラック🚚も運転できる大型免許を取得しているのです(↓)。
教習はそれなりに大変ではありました。しかしそれは私にとって学びと挑戦に満ちていて、人との出会いやそこで聞ける話も全てが新鮮で、視野を広げる素晴らしい体験となりました。とても良い思い出です。費用の面でも、昨今のドライバー不足の影響でしょうか、一定年齢以下の人に大型免許の取得費用の助成があり、私はそれを利用可能だとわかったことも私の背中を押しました。
何よりも、早朝からでもせっせと教習所に通う私の姿を最愛の息子が喜んでくれる、そんな息子の明るい笑顔が本当に本当に嬉しかった。
お母さんすげー!!今日は何を習ったの?失敗しなかった?どんなことがあったの?
そんな私の大型免許の取得について、それがもう、本当にしょっちゅう聞かれます🤣
えっ、どうして!?
そう聞かれた際には概ねですが、私はこんなふうに答えます。
実は私、小さい頃から大きな橋や高層ビルを見ることがすごく好きだったんだよね。あんなものを構想して設計し実際に作り出した先人たちへの敬意をビシビシ感じる。それと同じ理由で大きな乗り物っていうのもすごく好きで、密かに憧れていたのよね〜♪
なお、余談ではありますが、私が特に好きなのは台場のレインボーブリッジ(←今はその割と近くに住んでおりよく見えます、幸せです)、淡路島の明石海峡大橋(←私は橋そのものも好きなのですが、大きなアンカレイジが一層好きです)、高層ビルでは新宿住友ビルがとても素敵だと思っています。また、多くの方と同じように、黒部ダムも大好きです。あれぞ人類の傑作だ。
だけどたぶんなんとなく、私のこんな説明でパッと晴れた納得顔(笑)を見せる知人は少数です😅古くからの友人なんかは『まぁそんなもんか、知らんけど』って顔はしていそうではありますが。
そしてその場面や相手次第にはなりますが、こう付け加えることもありますね。
それにね、私には難儀な生き方をする息子がいるのだけど、私は彼に人はいつからでも自分らしく幸せに生きていけるんだとか、物怖じしない挑戦こそがあなたの人生を切り開くということを“当たり前レベル”で伝えたくて、そのことを母の背中で示したいと願っているの。大型免許は興味もあったし取り組みやすくてわかりやすい、その一環にしか過ぎないものです。
そう言いながらもなんですが、本当のところはなんか違う気もしています。私にも、うまく説明することができません。
『どんな動機で舵を切ったの?』
って問われても、大きな乗り物が好きだとか息子のためとかそんな理由もやっぱり後付けなのではないだろうか?🤔と感じてしまう。そんな私の本音の本心は、たぶんこう(↓)だと思います。
だって、そうしたかったから。
そう、これはまさに超論理🤣だって私はそうしたかった、やってみたいと思ったの。『なぜ?』と何度聞かれても、私にも説明が難しいことが実際です。
このような、一見非合理にも見えそうな超論理的な行動ですが、
それでも私は、『だってそうしたかったから』というのは人を動かす最も大きな動機の一つだろうと感じます。
かつて、私がまだ富山県の小さな町で高校生だった頃、都会と違って私の周囲には現役の大学生という人もおらず、近くの親類にも大学に進んだ人はいないという状況の中で、
そんな私に大学進学へのモチベーションとなったのは(このタイミングで家を出たかったというのもありますが)、特に化学や数学の学習を通してこそ見えた、掴めそうで掴めなかったギリギリの感覚:奥に光があるのはわかるが届かない、その光までもし届いたら世界の全てを見通せそうだ、そんな学問の奥の奥に見え隠れする、背筋がゾクッとするであろう圧倒的な美しさに触れてみたいと感じたことだと思っています。
美しいのか何か知らんが、それは食っていけるのか?とか、合理性とかコスパとか、そういうことを言い始めたら私はきっと大学には行けなかったと思います。
“だって、そうしたかったから”
そして当時の私には、その方法を味方となって指し示してくださる大人(高校の先生方)がいたことは私の何よりの幸運だったと思っています。
この年齢まで生きてきて、
人が求めているものって、学びや発見、刺激なのだと感じます。
そういうものに引き寄せられるアンテナがグッと作動した時、何かをハッと『美しい』と感じさせるのかもしれません。説明が下手で恐縮です、まさにこれは超論理、笑。
この“美しい”という感覚には、高揚感が伴います。
一方で、どんなに合理的で論理的な戦略であったとしても、それを見聞きしてあまりワクワクしたりもしなければ、喜びはもたらされないこともあるんじゃないかと思います。
ええ、それはまさに親が子に『あなたのために』と上から目線で提示をするその選択肢もまたそうなのかもしれません😅我が家の場合は、息子の中学受験もそうだったかもしれません。大人から見てめちゃくちゃ合理的だし戦略的かもしれんけど、当時の息子はそれを“美しい”とは感じなかった。
息子の時はコロナ禍で、十分な学校見学もできなかったしイメージを湧かせてやる力が私には不足していた、とにかく息子は高揚感も意義も感じることはなく、そうして中学受験にはたどり着かなかったのだろうかとも思ったり。
世の中にはなんとまぁ、私の息子と同世代のお子さんにも親の言うことを素直に聞くとか、合理性を追求し、先々を見越して日々コツコツと戦略的に努力するとか、大人が望みそうな振る舞いができて内申点が取れるとか(笑)そういうことがなんとなくでもできる子も存在するとは聞いています。
しかしどうやら、私の息子はそういう子ではないらしい。一体何の違いだろう?🤔
だけどこれは、親とは言えど素人ができるレベルの躾とか声掛けとか、そういうレベルじゃないってことに私もようやく気づいています(←遅い!🤣)
だって、そうしたかったから。
人を動かすのは、これまでの経験と思考に基づく、いつでもそんな“超論理”かもしれません。
やってみたいと思ったから、だから私は大型免許を取りたかったの。それだけなのよ。
息子もそうかもしれません。“やってみたい”とか“美しい”とか、あなたの感性が刺激を受けて気持ちが高揚する方へ、超論理で面白いと思う方へ思う方へ好きなように生きていけと思う他ないのかもしれません。
私は普段から『生きづらさ』という言葉を使ってしまいがちですが、それでは『生きやすさ』ってなんでしょう?🤔
空気を読んで多数派の社会に馴染むこと?
だけどさぁ、“空気を読む”って結束している人たちほど保守的だよね。しかも、空気を読み合う集団の中にいさえすればいつも自分が守られるというわけでもなさそうで🙅♀️
自分で決めて、一歩踏み出し、覚悟と責任を引き受ける。それが実現できることが『生きやすい』ってことなのかなと思っています。私はそんな感覚を、息子に伝えていきたいです。
そのために、私は自分の人生を生きることが大切なのだと思います。高揚感をやや大袈裟にも表出したり、学びの機会を心から楽しみ挑戦の姿勢を見せること。そうして私は私を、難儀な難儀な彼らにとって最も身近に実在した実例の一つとして示したいと思っています。
周囲から『なんで?笑』って言われる“超論理”もなんのその。
子供達にも、やってみたいと思ったように生きて良いと暗黙のうちに伝わっていたらラッキーです。
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