みなさんこんにちは✨
今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨
今回は現役保育士のkuroriさんから頂いたご意見をきっかけに、もしも周りに“発達”が気になる子供が居た場合、どうやって伝えることが適切か?ということを考えています。
前回からの続きです。前回の記事にお目通しの上、こちらを読んでくださいますようお願いします(↓)。
複雑な親心に配慮しなくてはならない場合もあるようです。慎重かつ適切に伝えるためには、どのような言い方が適切でしょうか。
受け手側の親心
曖昧な表現を用いるのには理由がある
前回からの続きです。
残念ながら私は私の無知のために、息子に関する『発達について気になることはありませんか?』というアプローチを受け取ることができませんでした。
これはひとえに私の、つまり受け手側の準備が整っていなかったことに起因します。だけどさ、だったらさ、
『もっとズバッと、ハッキリ分かりやすく言ってくれれば良かったのに!』
と私は思ってしまいます。
過ぎた話なのでもはや何を言っても仕方がないのですが、息子が幼い頃に、私は適した言葉で分かりやすく教えていただいてたらきっと息子の特性をすんなり受け入れることができたと思うの。そりゃ最初は戸惑ったり落ち込んだりもするだろうけれど、前向きに切り替えて適した支援を受けたでしょう、絶対に。
だけど現実的には伝えることは繊細で、やはり受け手側の準備が整っていないととても難しい側面があるようです。
事実、現役の保育士さんとして多くのお子さんに接しておられるkuroriさんは、私宛のメールでこのように仰っておられました(↓)。
メールから読み取れることは、気づいたことを“発する側”は、保護者との信頼関係が壊れることを心配しているということです。そしてそれを避けるために、敢えて“曖昧な”表現を選んでいるということが、今回最も特筆するべき事項であると感じました。
信頼関係は壊れるのか?
保育士さんによる進言があったとして、果たして信頼関係は壊れるのでしょうか?
私の場合は、息子2歳の健診でおそらく初対面の医師に突如そのようなことを言われました。その医師との間にはもともと信頼関係というものは存在しなかった。(前回の記事をご参照ください↓)
つまり相手との信頼関係が無かったからこそ、当時の私には意図が届かなかったのだと思っています。
だけど面識があり我が子をいつも見てくださっているその方が、こんなにも気を遣って提案してくれたとしたらどうだろう。感謝しこそすれ、例えば気分を害したり、すでに構築されていた信頼関係が壊れることが起こるだろうか?
ちょっと悩んでしまいました。
だけどまぁ、ありえるとしたらこう言うことかな?と思うことが一つ。自身の経験も踏まえて思い至ったことがありました。
それはやっぱり、『発達障害』という言葉の印象の悪さに起因するのだろうなと思います。
発達障害=ダメ、じゃない
子供の発達障害という状態を親が直視し抱えることは、なかなか簡単なことではありません。
子供が発達障害を抱えているとわかった時、親はやはりある程度のショックを受けるし落ち込むだろうと思います。私もひとしきり落ち込みました。こんなに大きくなるまで気づきもしなかった自分の不甲斐なさに落ち込んだとともに、息子の将来には人より多い茨が生えているのではないかと勝手に想像して落ち込みました。
もちろん頭ではよく分かっています。
子供を持つということは、生まれてくる子の全責任を持つということです。どんな子であっても構いません。それは心からの本音であるし、その覚悟を持って私たちは親になったはずなのです。
親の心の根底にあるのは、生まれてきた子供がどうか幸せな人生を送ってほしいというまさに親心。
しかし子供に発達障害があると知った時、その根底が一瞬グラッと揺れるのだろうと思います。無条件に大切な子供であることは変わりないのに。
それが“ショックを受ける”ことの本態なのかもしれません。
今では発達障害という言葉をよく見聞きするようになりました。しかしどうしても『障害』という単語が付くし、言葉のイメージがとてもよろしくありません。
発達障害に関するエピソードは、多くは“普通の人”には馴染めないとか理解されない部分が取り上げられやすく、発達障害を抱える人は
迷惑をかけられる困った人、
能力的に劣る人、
未熟な人、
さらには気を遣われなければならない可哀想な人という先入イメージが拭えません。
特に画一的とか、みんな一緒を良しとしがちな風土において、発達障害というものはお荷物のような存在に捉えられがちになってしまうのだろうと思います。
実際に、私もこれまで息子の特性についてを協力を得るべき人に伝えようと試みました。だけどみんなから良い反応が貰えたわけではありませんでした(↓)。
すなわち自分の子供に発達に問題があるのでは?と指摘されることは、
『うちの子供が“社会のお荷物”だって言うんですか!?』
という意味において、気分を害する場合があるのかな?
それが“信頼関係が壊れる”ということの実態なのかな?
うまく言語化できているかわかりませんが、今のところ私はそう想像しています。
だけどこれについて私は、自身や息子、他の優秀な人たちをたくさん見てきて、その先入観は間違っているとハッキリ言える。
発達障害はダメじゃない。
だって私はダメじゃない。私にも凹凸はあるだろうけれど、凸の部分、いわゆる“普通”の人より上手くできることもたくさんあって、そこにはひそかな自信さえ持っている。
息子はまだ未熟なのでまぁその辺はちょっと保留だけれど、現段階で言えることは、彼の頭の良さは半端ない。そんじょそこらの大人が手を抜いているのかと感じてしまうであろうほどの頭脳を彼は持っている。これを上手く使えたら、きっと何かしらをやり遂げられる器にだってなるだろう。
私が育った研究者の世界もそうでした。
(おそらく一般社会には馴染みづらい)発達障害傾向を持つ人はたくさんいたけど、みんなどこか尊敬される人たちでした。
このような私の経験は、発達障害を持つ若者は決して『使えない』とか『ダメ』じゃない。ただ、『容易には使いこなせない』し、『使い方に一工夫が必要』なだけなのだということを証明していると思っています。
子供時代の親はもちろんめちゃくちゃ大変です。
子供を育てること自体が大変なのに、そこに発達障害が加わってくるといっそうやることや考えることが増えてしまって大変です。
その中で諦めてしまってはいけません。その子その子に適した、“生きやすい道”を一緒に探していかなければなりません。これは親にしかできないことだろうと私は考えています。
伝えた実例からわかること
ハッキリ伝えたことが実を結んだ実例
今回ご意見をくださった保育士のkuroriさんのご経験談はとても勉強になりました。許可を頂いておりますので下記にご紹介します。
kuroriさんより『子どもと関わっている方にも良い気づきになるといいなぁと思います。』と仰っていただいております。
先送りは解決にはならない
kuroriさんのお話の中で、キーワードが見えてくるように思います。
一つは『それとなく』。
これはあかん、良くないのですね。
kuroriさんは『業界の常識って、中にいると気づきにくいのだなぁと改めて思いました。』と仰っていました。
業界の常識がもう“それとなく”になっちゃってんだな。その常識を持たない人には推し量ることは難しいのだろうと思われます。これを避ける必要がありそうです。
さらに『信頼関係』。
これは大事なようですね。必須ではないけど、あるに越したことはありません。人間同士なので相性もあるだろうし、場面によっては大変繊細なところです。
もう一つ選ぶとしたら、『もっと早く知りたかった』というあたりでしょうか。
これは私もすごく同意です。先送りは解決にはなりません。
kuroriさんのご意見では、『保護者の方が受け止めやすいようなタイミングや、そのあとのフォローもしっかり心がけながら一緒に考えていく』ことが大事なのではとのことでした。
どう伝えてくれたら嬉しいか:提案の一例
ここまで、私が無知であることから私は受け止めることができなかったという話を書いてきました。
私は保育士さんに衝撃を与えてしまうほどの無知であって、そのせいで“それとなく”発信された『発達』に関する指摘を私は10歳にもなり、有事に大きく崩れた息子を目の当たりにするまで受信することができませんでした。
kuroriさんはそんな私にまでご配慮くださり、
発達について、Naomiさんが特別無知とか受け止め方がどうとかいうわけではもちろんなく、普通のママの認識はそうなんだということに私たちが気づかなければいけません。
と、そう仰って慰めてはくださいましたが、やはり適した時期に受信できなかったという後悔は私には残ります。
やっぱりハッキリと、私にも分かるように言って欲しかったなって思っています。
あとこれはちょっと失礼かもしれない私見ですが、
発達障害傾向は遺伝的素因も大いに関係しますので、発達が気になると言う当該児童の親御さんもまた、曖昧な表現が理解しにくい人の割合が高い可能性は大いにあると思うのです。私もそうです。
すなわち伝えるべき集団は、よりハッキリ言わねばわからない人たちの集まりであるかもしれないわけ。
私なら、なんと言われたらスパッとわかっただろうかと考えました。
やっぱり、『何が問題なのか』を具体的に伝えてくれれば理解できたのではなかろうかと思っています。
そして、専門機関につながることで、どのようなメリットがあるのかというのをイメージできれば尚よかった。
たとえばこう。
『一斉指示が通らないことがあります。これによって、集団行動に支障が出ます。療育機関では適した経験、トレーニングを受けられます。今後の彼の生活にきっとプラスになると思うので、ぜひ相談に行ってみてはどうですか?』
とかそんな感じ。つまり
- どのような点が心配で
- どうしたら対処できるかもしれなくて、
- 全ては本人の将来のためを想ってのことである
ことが伝わればきっと親の心に届くだろうと思います。
何事もそうです。関心の有無によって、受信感度は違います。
息子はフォートナイトというゲームに夢中でものすごい熱心に情報収集するし些細な情報も試さずにはおれないけれど、私は戦闘系のゲームには無関心。だったらYouTubeで登山動画でも見ていたい😅
そんな色々な人がいる中において、適切にハッキリと伝えることはとても難しいことでしょう。ショックを受けるという気持ちもわかります。
だけど先送りにして、困るのは自分じゃなくて子供です。
子供のためなら、これを乗り越えられない親はきっといないだろうなと思います。
今回はご指摘とご意見をいただけてよかったです。考えるきっかけとなりました。本当にありがとうございます😊
今後ともご指導ご鞭撻をいただけましたら幸いです😊
コメント
こんにちはkuroriです^_^
今回、私の思慮の至らなさから気づけなかった「発達」という言葉の捉え方、そして保護者の方とのすれ違いを生みかねない伝え方について記事にしていただいてありがとうございます。
子どもが豊かに発達し幸せになることを願っているのは同じなのに、「行き違いをしている場合ではない」。ホントそれです。
人と人との関係なので絶対的な正解はないでしょうが、まずは「この人の話なら耳を傾けてもいいかな」と思っていただけるような関係(それが信頼関係だと思っています)になれるようにすること、こちらの考えを押し付けるのではなく一緒に考えていくことが大切だと思っています。
長いこと保育士をしていても迷ったり悩んだり後悔したりの繰り返しですが…💦
いつも大切なことに気づかされています。ありがとうございます。
これからも楽しみにしています😊
いつもたくさんのことを教えてくださりありがとうございます!
色々なお子さんを見ていらっしゃるからこそのkuroriさんの視点やご意見はとても勉強になるだけでなく、お子さんそれぞれに寄り添い親身に考えられて、全体を良くしていこうとする優しさや頼もしさにいつも心を打たれています。
保育士さんは誰にでもできるお仕事ではないですね。どうかこれからもお力を発揮されていただきたいと思っています👍
伝え方は非常に繊細だし、人によって状況が異なり、一概に言えない難しい問題なのはとてもよくわかります。
だけどさ、その中で、知ること学ぶことはやはり力になるなと強く思う。さまざまなケースを踏まえて自分の頭で考えていくことは大きな成長に繋がるのだろうと思っています。私ももっと色々な本を読んだり知見を集めて自身の成長に繋げていきたいと思っています。
また気づかれたことや思うことなどありましたらお知らせいただけるとありがたいです!
多面的に考えることは楽しいです。今後ともよろしくお願いいたします😊