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無知と衝撃:どう伝えるのが適切か

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徒然思うこと

みなさんこんにちは✨

今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨

今日は当サイトを読んでくださる方から頂いた意見の中で、(お互いに)衝撃的だったことがあったのでそれを記録しようと思います。

お伝えいただいたのは現役保育士のkuroriさん。当サイトを読んでくださり、度々コメントもくださる方です。私の無知が、彼女に衝撃を与えてしまいました。それを聞いた私も衝撃でした。

もしも周りに“発達”が気になる子供が居た場合、どうやって伝えることが適切か?という話です。

わたし
わたし

プロの保育士さんによる率直なご意見がありがたいです。全ては子供のメリットを中心に据えて考えられるべきだと私は思います。

私はなぜ気づかなかったのか

『発達=体格』という勘違い

当サイトで継続して書いているものとして、『発達障害に気づくまで』シリーズがあります。

これは昨年2020年にコロナウイルス感染症の流行によりとられた一斉休校措置をきっかけに息子が顕著な異変を示したこと、そこから始まった我が家の混乱、家族の混乱、息子の特性、私の不調、得られた支援、そんな激動の経緯を記録しているものです。

私はまさにこの時の混乱、後悔と反省を記録するためこのサイトを作りました。そしてこのシリーズは他の記事と比較しても読んでくださる方の数がちょっと多かったりするものですから、現状ではこれが当サイトのメインカテゴリであるとも言えるでしょうか。

#(ナンバーサイン)付きで投稿しており、現在#19まで書いています。ぜひご覧ください(↓)。

 

さて。今回、現役保育士のkuroriさんご意見をいただいたのはこの記事(↓)の中の一つの表記。

『息子さんですが、これまでに“発達”について指摘を受けたことはありますか?

私は、電話口の専門家の方にそう言われてもなお、この時は全くピンときていませんでした。

発達って、“体格”のことかと思いました。身体の発育に問題があるのかということかと思っていたのです。

だから、私はまずは『特にありませんけど、』と答えました。

 

このやりとりは、お恥ずかしながら全て事実に基づく記述です。

これに対し、kuroriさんが以下のようなメールをくださいました。抜粋して転載します。

以前の記事で「発達で気になることは?」と聞かれて身長体重のことだと思われた、と書かれていましたよね。あれは私にはかなり衝撃だったんです。

私は「気になる子」がいるときに保護者の方にどうお伝えするのか、かなり悩みます。保育士は診断できるわけではないし療育の専門家でもないので、確信はありません。保護者の方との信頼関係も壊したくないです。

なので、まさに「何か困ってませんか?」「発達で気になることはありませんか?」といった曖昧な表現をよく使っています。
それで察してほしい、察したら専門機関につながってほしい、と。

でもそれは内輪だけで通じる言葉・理屈だったんだなぁと反省しました。
大きな気づきをいただいてありがとうございました。読んで以来、しっかり心に留めています。

『衝撃だった』と書かれていますが、このメールを拝見した私もえらい衝撃でした。

“発達=体格”という誤解勘違いは、全て私の無知に起因することは分かっています。本当にお恥ずかしい限りです。

 

だけどこれは、実際のところどの程度の大人に対して通じる言い回しなのだろうか?と気になりました。

専門家及び一定程度以上の関心がある人にしか通じない言葉でしょうか?

それとも一般の大人にとっては広く当たり前に通じる言葉なのでしょうか?

どちらかと言うと前者のような気がしていますが、私には判断しようもありません。

  

そして改めて私の中に、私自身がよほどものを知らずに非常識な部類の人間だった可能性が浮上しました。私は私の無知で息子のことを知ることが遅れ、息子には本当に申し訳ないことをしたのだとゾッと血の気が引く思いがしたのです。

一方のkuroriさんは保育士さんとしての良かれという思いからの伝え方にも関わらず、私のような受け取り方をする人もいるのだということに衝撃を受けられたことを率直に知らせてきてくださったわけです。

 

そのような意味で、これはお互いに衝撃的なメールでした。

そして私はこれをとても重要な問題であると捉えました。

私たちは“通じない可能性がある言葉”で行き違いをしている場合ではないのです。

子供の幸せ、子供の人生に関わることです。子供たちのメリットのために、私たちは議論を開始するべきタイミングにあるのです。

私とkuroriさんで意見を言い合い、双方向から互いに納得のいく着地点を見出さなくてはいけません。

まず最初に私側の視点から、“何がどのような理由で私に伝わらなかったのか”ということについて振り返っていこうと思います。

気づき遅れた敗因

話は息子の生育歴に変わります。

私は、息子の特性について10歳にもなるまで全く気づくことができませんでした。

このことは今も心から悔いています。

取り返しのつかないことをしたと、取り戻せない10年間をただひたすらに私は悔い、いっときはひどく自分を責めました。母親なのに、いったい私は息子の何を見てきたのだろうかと泣きました。

 

敗因の一つは明らかです。

私にも同様に類似の特性があるからです。

当サイトにおいて、少し前に自分のことを書きました(↓)。

私は息子を育ててきて、他のお子さんと比較をすると『息子は少し変わった子供だな』という認識は割と初期からありました。

だけど完全に、子供こういうものだ、と思い込んでいたのです。

だって私自身がそうだったから。

そして私自身が成長に伴い一応なんとかなっていった(ような気がする)から、息子もそうなるだろうと信じて何にも疑わなかったのです。

 

それに息子は第一子でした。比べる相手もいなかった。これが第二の敗因。

 

あと、これも大きな要因かな。第三の敗因:なんなら出産前から『仕事をして働きながら子供を育てることは大変だよ』と散々周りから言われていたので、子育ては大変なのが当たり前だと思い込んでいたということです。転勤族だった夫は当時ドイツに赴任していました。ワンオペ育児+フルタイムの仕事であり、両親もみな遠方でした。そんな状況下においてなお、私は、

だけど私はそれをやる!やらねばならない!やり遂げる!絶対に仕事も辞めないでがんばれる!

そう自分に言い聞かせて、仕事と育児に夢中でした。

そんな勢いに任せて、私はおそらく人一倍大変だったであろう息子の子育てを、なんとか乗り切ってきてしまいました。

そう。まとまって眠らない息子、マイペースすぎる息子に行き場のない思いを感じつつ、時には息子の癇癪に疲弊し嘆き辛いこともあったけど、私には一人で乗り切れる体力、知力、要領の良さ、一人前の経済力と行動力に支えてくれる人脈までもが備わっていました。そして私は私の力で、これをなんとか乗り切ってきてしまったのです。

何より、息子は最高に可愛い子でした。一緒にいられて息子の成長を見守れて、私はそれが何より幸せなことだと感じていました。

チャンスは何度もあった

私は幸せでした。だけどそれは自己満足です。果たして息子はどうだったか。親が息子の特性にいち早く気づき、適した環境・接し方をされていれば息子はもっと幸せだったのではなかろうか。

 

振り返れば、私には気づくチャンスは実は何度もあったのです。

最初は息子の1歳半健診です。

息子は1歳半健診で言葉の遅れを指摘され、2歳で再検査、その結果として療育機関に相談に行くよう勧められたことがありました。

その際、検査をしてくださった医師にはこのような言われ方をしたことを覚えています。

『自閉傾向があるかもしれないので、療育機関に相談に行ってみてください』

わりとしっかり言われていると(今なら)思いますが、とにかく単語に馴染みがなさ過ぎました。

しかし、この言われ方では私にはことの本質が伝わることはありませんでした。

その理由について、一つずつ(言い訳をしながら)検証していこうと思います。

伝わらなかった理由を検証しよう

問題の所在を理解できなかった

私にとって息子はとても可愛い、誰よりも大切な最愛の息子です。

私は結婚した時、是非とも子供を持ちたいと願いました。その動機は鮮明でした。分子生物学を学び、生命の維持機構、緻密さはあまりにも美しく設計された奇跡でさえあることを知りました。その精巧さを知る人間の1人として、私はその“奇跡”を自分の遺伝子を用いても起こしてみたいと願っていました。そして自分の遺伝子がどのように伝わるのかについて見ることを、とてもとても楽しみにしていました。

息子が生まれて、息子はめちゃくちゃ面白いほどに母親である私によく似ていました。成長につれ、姿のみならず中身もそっくりであることがわかったのです。

そこに、

『自閉傾向があるかもしれないので、療育機関に相談に行ってみてください』

そう言われても、全く意味がわかりませんでした。

彼は私によく似ているし、だから息子がこのような性格であるのは遺伝子レベルで当然理にかなったことであるはずだ。それを突然『自閉傾向があるかも』なんて言われても、何が問題なのかが私には全く分からない。

だって私の子供じゃん?似過ぎているから多少変わったところがあっても当然だ。それがなんで息子だけが自閉傾向なんて言われるのよ?

(↑オマエもだよwと当時の自分に言ってやりたい😩)

そんな、まったく理解できていない状態でした。

医師との信頼関係ができていなかった

当時、私の息子は私の職場があった北海道大学内の大学附属保育園に通園していました。息子はその保育園が大好きで、私も保育園をとても信頼していました。息子はそこで特段の指摘も受けず、順調に大きくなりました。

それがある日、健診に行ったら突如知らない医師に『自閉傾向があるかもしれません』と言われたって困ります。

正直に申し上げて、

私

あなたはいったい、たった何分の時間でこの子を観察してそのように言うのですか?

と憤ったくらいです。(今思えば専門家だからこその見解なのに…軽視してすみませんでした!!と猛省しています😭)

だけど私も一応気にして、当時通っていた保育園の保育士さんに相談しました。

そこで私は保育士さんに、

保育士さん
保育士さん

よく笑うし、自閉傾向なんて感じませんよ!

と言われたことで、いつも見てくださっている方が言うのだからとそちらを信じてしまったのです。

他の方に意見を求めることもしませんでした。お若い、たった1人のクラス担任にそう言われたからって私は安心してしまったのです。

笑う/笑わないは自閉症スペクトラムには関係のない基準です。当時の私は(おそらくはその保育士さんも)そんなことさえ全く知らない無知だったのに、安易にそれを受け取ってそこから考えることを完全に止めてしまったのです。

『療育機関』が何をするところか知らなかった

次に、『療育機関』という聞き慣れない言葉を理解できていなかったことも挙げられます。

療育機関ってどこにあって、何をするところか知っている人は一体どれくらいいるでしょう?

もちろん身近で見聞きするなどの機会があった人は知っているかもしれません。だけど私が子供の頃にはそういう機関は近所にあるものではなかったし、大人になった今でも直接お世話になったことはありません。

その療育機関とやらに行くことで、果たしてどんなサービスが受けられてどんなメリットがあるのか』ということを、私は全く知らなかったしその時には確かA4のパンフレットはもらったけれど個別に説明を受けることさえなかったのです。

それでも一応電話はしました。だけど予約が半年先までいっぱいで、年度が変わると見通しが立たないからまた2月頃に電話をしてほしいと言われたんだった気がします。

パンフレットには目を通したし、電話もしたけど絶対行かなきゃいけない雰囲気ではなかったな。絶対行かなくても良いんだよね?任意でしょ?だって絶対来いって言われなかったし。行けたら行くってことでまぁいいか。

私は療育機関というものについて、その程度のことにしか受け取ることができなかったのです。

そんなはずはないと思っていた

あーだこーだと書いてきましたが、何を言ってもやっぱりこれに尽きるのかもしれません。誰に何を言われても、『そんなはずはない、関係ない』という無根拠の思い込みが私にあったのだと思います。

仮に例えばですが、頭を痛がるとか高熱があるとか発育が悪いなどの目で見て明らかな所見があり、その検査の結果何かしらの重大な疾病が見つかったとかならすんなり理解することができたのだろうと思います。

だけど息子は、外見上も全く“普通”の、とても元気で健康的な可愛い可愛い私の自慢の息子でした。

そんな息子に障害があるかもしれないという指摘を受けたとしても、それは私には全く具体的には思い描けず、現実として捉えることはできなかったのです。

そうするうちに仕事や日々の多忙さに手を取られ、そんな指摘を受けたことを私はすっかり忘れていってしまいました。

二度目のチャンス

すんなり引き下がられた

チャンスの二度目はきっと、息子が小学生になった時の最初の学童保育の面談でした。

『これまでに、発達について何か言われたことはないですか?』

学童保育のスタッフの方が、開口一番、なんだか言いづらそうに私にそう切り出しました。

この時の私は、この“発達”というものを“体格”という意味だと取りました。身長や体重、さらにいえば運動能力や生活習慣、学力、知性。そういうものも含めての“順調な成長”のことかと思ったのです。

だから私は、

私

いえ、特にありませんが

そう、しれっと何事もなく答えました。体格は普通だし理解もとても良い子です。少々引っ込み思案で大人しいですが、私の子だし、これを問題だと捉えることはありませんでした。

そうすると、学童保育のスタッフの方は複雑そうではありながらも、

スタッフさん
スタッフさん

そうですか…

とすんなりと引き下がり、以降はそのような言われ方をすることはありませんでした。

どんな困り感が存在するのかを汲み取ることはできなかった

学童保育では、それからも季節ごとの面談において毎回決まって言われることがありました。

『いつも一人で本を読んでいることが多いです』『お友達間の交流が少ないです』ということでした。

だけど息子の読書好きは今に始まったことではありません。それに学童保育にはうちでは買わない“コロコロコミック”という漫画があって、息子は夢中になりました。そんな面白いものがあるのだから、読ませてくれたら良いじゃない。お友達だってこの子は少数の子と深く付き合うタイプであって、浅く広い付き合いを持つタイプではない子なの。好きにさせたらいいじゃない。

その子にはその子の個性があるのです。

みんながみんな、誘われたら必ずドッジボールをしなければならないわけではありません。

だから私は息子の学童保育の過ごし方を聞き及んでも、『それが息子でしょう?別に構わないのでは?』と思うばかりで一体何が問題なのかを汲み取ることはできませんでした。

 

長くなりました。次回に続きを書こうと思います。

お気づきの点やご意見等がありましたらご遠慮なくお寄せください。話に参加していただける方がたくさんいるほどありがたいです。お待ちしておりま〜す。

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