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新型コロナウイルス感染症の流行に伴う一斉休校をきっかけに、私の息子は精神的に大きなダメージを受けました。
さらに2020年のGW中には私の実母が新型コロナウイルス感染症の検査を受けたことをきっかけに息子の混乱は一層深まり、息子は食事を取ることにも眠ることにも困難を呈し、自分の感情が全くコントロールできなくなっていきました。
息子のケアに集中したい。
だけど私には仕事もあって、退院した母の身の回りの世話や、幼い娘の世話もある。
私は本当に手一杯だったけど、なんとかその日その日をやり過ごすように生活していました。
退院した母を連れ帰って
母の生活の再建を目指して
2020年5月12日(火)。
重症の低ナトリウム血症で意識を失い入院していた母は退院し、私は母を当時入所していた施設の居室に連れ帰りました。
退院する時に看護師さんに『今日から娘さんのお家ですか?😊』って言われました。だけど今の我が家に、母の面倒を見る余裕はありません。
私は絶不調の息子を見るだけで精一杯。
そう。本当にこの頃、手一杯でした。
母の居室は、母が退院するまでのうちに私が少し掃除をしておきました。
倒れた時に嘔吐物で汚れた寝具は処分して、部屋にあった大量のゴミのようなものも全部捨てました。そしてこの時に、前もって買っておいた新しい寝具を車に積んで一緒に運び込みました。
母の生活をなんとか立て直したい。
それまでの辛抱だ。
私はそう考えていました。
死にたいと言い続ける母
もとの居室に入り、布団を敷いた上に座った母は「死にたい、死なせてくれ」と言いました。
思えば、そういう点では母はタイミングを逃し続けてきた、ある意味では幸運な(不運な)人なのかもしれません。
母は、これまでずっと死にたがっていました。
10年前にうつ病になり自殺未遂をした時は、約束をしていたわけでもないのにたまたま母の友人という人が近くを通ったからと訪ねてきて早期に発見され一命を取り留めました。
息子が生まれた時、精神科を脱走して自殺を図ろうとした時も、未然に警察の方に保護されました。
少し元気になってきた頃、富山の精神病院から東京への移住話が出た時にも取り乱して死にたいと暴れたとのことですが、隔離病棟で拘束治療をされながら落ち着いていったということです。
さらに今回倒れた時も、GW中で施設の方も手薄であり、基本的には自立して生活することをサポートされる施設だったため見守りの予定もない中、たまたまドアをノックしたという訪問業者さんによって倒れているところを見つけていただいたとのことでした。
「あんたらの役にももう立たない。死なせてくれ。」
この時も母はただ、そう言い続けました。
気弱になっているのだと思いました。
『そういうことを言わないで、しっかり休んで元気になって欲しいと思っているよ。』
私は、最初はそう母に返事をしていいました。
だけど母は何度も何度も「死にたい、死なせてくれ」と言い続け、私は段々と面倒になり、それを聞き流すようになりました。
施設に介護は頼めない
当時入所していた施設は精神疾患を抱える人が自立を目指すためのグループホームで、基本的に衣食住の世話は自分でしなくてはなりません。
退院日が決まった時、私は施設の職員の方に連絡し、これからの生活のサポートはどこまで得られるかを相談していました。
施設としては、1日に1回、部屋を訪ねて声をかけることができること。
福祉サービスの日数を増やし、今後は週に3回の訪問看護に来てもらうこと。
何か異常があれば救急対応をして、私にも知らせてくれること。
これらのことを提案してもらいました。
そう。ここは精神障害者のための自立を支援する施設であり、介護施設ではないのです。
あくまで様子を見守ることが中心で、衣食住に関しての介助をすることは対応外で頼めない。
そういう状況でした。
だけど、私はそれだけでも助かると思いました。
何かあれば、その日のうちに誰かが気づく状況にはあるのです。私が母の様子を24時間気にする必要はないのだということはありがたいと思いました。
そこで私は、母の衣食住、特に食事についての面倒を見なくてはなりません。
最短で配食サービスを頼むことを検討し、せめてそれを申し込んで開始されるまでは、私は母の居室に通うつもりでいました。
毎日、最低でも2日に1回以上は行かなきゃな。そう考えていました。
母が退院した日。私は夜には自宅に帰るつもりだったので、母の入院の道具を片付けたら私は近くのスーパーへ”母が自分でも簡単に食べられるもの”を買いに行きました。
開封すれば食べられるおにぎりやパン。
少し日持ちしそうなビスケット。
水分は多めに、なるべく母が好きそうなものを、糖分も取れると良いかなと選びました。
この日の夕食は消化に良さそうなお弁当を買っておいて、明日は来れる時に来ることにして、朝は保存食的なもので済ませてもらおう。
そう考えて買い物をして、私は母の部屋に戻りました。
ありのままの母を見て…
母は、私が出て行った時と同じ姿勢で座っていました。
私が戻ると、「死にたい、死なせてくれ」と私の目を見て言いました。
『そう言うこと言わないでさ。食事を買ってきたから、食べられそうなものがあったら、食べられるだけていいから食べて欲しいの。無理はしなくていいけど、できるだけ食べて欲しい。』
私がそう言って袋を置いた時、
母は飛びつくようにして起き上がり、そのスーパーのレジ袋を取り上げ覗き込んで漁りました。
私はあまりの勢いに驚きました。
そして顔を上げたかと思うと、
『なおちゃん、こういうのじゃなくて冷やし中華が食べたいがだけど。』
虚な目で、母はそう言いました。
ひどい言い方ですが、私はこの時の母が野良犬のように見えました。
あ、そうなんだ。死にたいのに、食べたいんだ。冷やし中華ね、買ってくるよ。
子供たちの役に立たないから死なせてくれって言ってる人間が、冷やし中華は食べるのか。
私は再び外に出て、冷やし中華を買いに行きました。そういえば母は若い頃から麺類が好きだったなって思い出しました。
そして私が戻ると、母は”1秒でも早く食べたい!”と言わんばかりの勢いで私からそれを取り上げて、
包装を引きちぎり、
箸も使わず、
ムシャムシャと貪るように、手や口を汚しながら、ただ真剣に冷やし中華を食べました。
そして追加でおにぎりの包装も噛みちぎり、貪るように抱え込んで食べました。
食べたら容器から興味を失くし、そしてゆっくりと布団に戻り、落ち着きを取り戻したように母は再び「死にたい…」と言いました。
一瞬のことのようで、私は心底驚きました。
今、何が起こった!?
異様な光景に私は目を疑いましたが、とにかく、今の母は、人間がすることのようには思えませんでした。母にはもう理性とか、そういうものが無くなっているのだと思いました。
それでもふと、
私が帰ったら、もしかしたら母は死ぬつもりか?
一瞬そんな考えがよぎりました。
だけどその時の私には、それならそれで良いんじゃないかと思えました。
私は息子のことで手一杯なのだから、明日母が死んでいたら葬式を出して全部終わり。そしたらどんなに楽だろう。
そんなひどいことを、私は思ってしまいました。
だけど、翌日に私が訪ねた時、母は生きていました。私が前日に買っておいた食品は概ね食べてありました。部屋にゴミが散乱していました。
それでも私の顔を見ると、「死にたい、死なせてくれ」と虚な目でずっと訴えます。
私は、これからこの母の世話をするにあたり、相当なストレスを抱えることになるのかもしれない。
そんな予感がして、大きなため息をつきました。
そして、この母を私の自宅に連れ帰らなくて本当に良かったと、心からそう思ったのです。
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