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個性と学び方、働き方

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徒然思うこと

みなさんこんにちは✨

今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨

先週、私は息子の個性と教育環境について思うところを書きました。

書いてみるもんだな〜😲と思っております。読んでくださった方から色々な情報を寄せていただき、ちょっと勉強が追いつきません💦ありがたい。

今日はそんな情報等を記録しておこうと思います。

わたし
わたし

息子に個別最適な学びと就労について考えるため、情報収集はとっても重要。



息子の自立、メシが食える大人にする

息子の困難

私の息子は現在小学5年生。最近声変わりをして、体つきもぐっとしっかりしてきました。

彼には彼独自の個性があり、それは世にいう“発達障害”という括りにされ得るものです。昨年、10歳を目前にして我が家はようやくそのことに気がつきました。

何事もなければ息子は明るく優しい子供です。だけど彼にはいくつかの場面ではうまく対処をするべき困難が伴います。

 

まず気になるのは、息子は興味がなかったり意味づけに納得しない事については全く取り組むことができません。

おかげで学校の宿題も散々ですよ😭

仮に嫌でも無難にこなし、サッと適当に済ませればそれなりの評価はもらえるだろうに、そういうことが息子にはなかなか難しいのは困りもの(↓)。

こんな息子がいずれ仕事をするようになった時、

息子
息子

興味がないので、やりませんので

と言ってしまったら、それは場合によっては信頼に関わる一大事です(←とはいえ研究者の中にはそういう人は時々いました。他の領域ではどうなのでしょう?)。なんとかコミュニケーションで解決していけると良いのですが...

 

さらに息子はこだわりが妙に強い、ことがある。先の“納得できないことには取り組めない”ということにも通じるのかもしれませんが、これもなかなか困りもの。

小さい頃は、左足から靴を履かないと泣いて泣いて大変でした。急いでいる時とかに発動すると私は本当にうんざりしたし、全く息子を理解することができませんでした。

今で言えば、息子の季節ごとの衣替えがそれに相当するでしょうか。息子はどうやら着れる服、快適な服が決まっており、いつでもそれを着たがります。さらにもともと変化を嫌う傾向があります。そして暑い/寒いという感覚が少し鈍感であることも相まって、気候に合わせて衣類を調節することにあまり意味を見出していないことが要因のよう。

だけどこれは時間をかけて、ゆっくりと対応していくことはできるような印象です。

 

あとは、想定外の事態に対して混乱すること、感情のコントロールが苦手なようで自制することができない場面があることも心配です。

息子には一度パニックに入ると大声を出す、暴れて唸る、よくわからない屁理屈を挙げたりとても反抗的な態度を取るなどが起こり得ます。

だけどこれは主に自宅でだけでの現象であることが、私はとても興味深いです。(←親には発動しても良いけれど、長い将来を一緒に生きていってくださるパートナーに対してはどうか発動しないで欲しいと願うばかり…どうかそれまでにコントロールする術を見つけて欲しい😭)

事実、息子の生活態度についてこれまで学校では大きな問題はありません(通常級に在籍しています)。つまり息子は小学校などでは周りをよく観察しながら過ごしており、全力で適応しようと努力しているということです。常に様子を伺い困ったらフリーズしたり自分を抑えて、あまり目立つことなく過ごしているような様子です。

そうしていつも気を張っているため、息子は学校からの帰宅直後はぐったり疲れて倒れ込んでしまいます。これも息子の適応の努力挑戦のためであるので家ではそっと見守っています。

期待、ときどき悲観の繰り返し

一方、息子はコミュニケーションは未熟ではあるものの、“対人スキル”については日々成長を見せています。これについては最近は心配することは減りました。

挨拶はまだできたり出来なかったりな感じで要修行。だけど保育園や小学校の同級生、習い事仲間の上級生、教育相談の臨床心理士の方や学校の先生、習い事の先生や塾の講師など、息子は様々なサポーターに恵まれています。時には不注意を友達に気づかせてもらったり、友達同士で映画を見に行ったりして経験を積み、最近では困った時には自発的に近くの大人に助けを求められるようにもなりました(←家の鍵を忘れて困った時、マンションのコンシェルジュさんに相談するなどしていました)。

私の趣味である山歩きに同行した際には山で知り合った人と楽しく話したり時には親睦を深めることや、様々な人生経験を分かち合って良い思い出を積み上げることもできています。思えば、登山は息子を大きく成長させたなと思います。

 

なんとかなるだろう。きっと息子は大丈夫。

私は基本的には息子のことをそう思って信じています。

 

だけど時折、理解不能な息子のパニックや(他人からすれば)本当に瑣末なことで引き起こされる息子の感情の大きな揺らぎ、感情爆発やそれに伴う不適切なコミュニケーションに遭遇すると、

やっぱり無理かも。この子に自立は無理かもしれない…

生きてさえいてくれれば良しなのだ。

と嘆きたくなることも多々あります(↓↓)。

果たしてこんな息子でも、“メシが食える”大人になるんだろうか。

息子のために、私が今できる、必要なことはなんだろう。

 

そんな悩みを抱えながら先週は徒然と思うところを書いてみたわけですが、読んでくださった方々から思いのほかたくさんの共感と応援のメールをいただき、そして多くの情報について教えてもらうことができました。今日はその一部を記録します。

“個性”と“学びの場”を繋ぐ支援

個性を発揮できる学びの場

先週の記事で、私は子供の学びが“個別化”の方向に向かって欲しいという期待を書きました。

もちろん現状だって星の数ほどの習い事があるし、学校以外の学びの場も少しは選ぶことが可能です。そんな学びの場を以下に挙げます。

本当のところ私が期待するのは“学校自体が個別化学習の協働の場であって欲しい”ということなんですが、まずはこれを土台に一歩ずつ、というところでしょうか。

LITALICO

株式会社LITALICO、特に発達障害に特化して懇切なサポートや情報提供をしているLITALICOジュニアは、特性に合わせた学びという点において最も広く知られた学びの場だろうと思います。

また、LITALICO発達ナビで提供される情報共有の場は非常に心強いですよね(↓)。ウェブ上の情報量は豊富であるし、必要な支援についても学べます。私も時々、励まされる思いで読んでいます。

さらにこのLITALICOが提供するものづくり教室『LITALICOワンダー』についてはハマる子にはめちゃくちゃハマる習い事(↓)。

デジタルにどっぷり浸かり、今までにないものを作り出すことで自信を育む経験は、(発達障害に関わらず)全ての子供に貴重なものになるのだろうなと感じました。息子も昨年にオンラインの体験授業に参加しました。感染症の流行や通塾が開始した都合で入会は見送りましたが、大人も勉強になる素敵な企画だと感じました(↓体験は無料)。



ところでこれから小学校でもプログラミングをやるみたいですが、教えられる先生って一体どれくらいいるんでしょうね💦学校の教室では“子供の方が良く出来る”って事が起こり得るのではないかなぁと密かにハラハラしていますよ私は。

LEARN

もう一つ。今回は当サイトを読んでくださっている方から『学びの場』として下記のプロジェクトを教えてもらいました(↓)。

“LEARN”(2021年に“ROCKET”より移行)は東京大学先端科学技術研究センターの中邑先生らによる教育研究の一環で運営されるプロジェクト型の学びの場であるようです。

紹介文にとても感銘を受けました。

社会は不適応を起こした子どもに治療教育を提供し、標準的だと考える子どもに近づくことを期待します。(中略)そもそも彼らが変わる必要があるのでしょうか?自分を変えてまで組織に属す必要があるのでしょうか?

DX時代に突入し学校や会社の壁が低くなり、時間空間を超えた組織が生まれつつあります。これは、彼らが既存の社会に無理に適応しなくても、新しい環境を容易に構築でき、さらに既存の環境とも繋がれることを意味しています。(中略)

「自分の特性に合った道を堂々と進ませようではありませんか」

「世界中には応援してくれる大勢の人がいることを教えてあげようではありませんか」

そんな個々の子どもに合った学びの入口がLEARNです。

LEARNとは?(https://learn-project.com/)より
息子には息子らしく、堂々と生きていって欲しいのです。

素敵ですよね。

そう、私が願っているのはそういうことなの。

例えば息子が辛い思いをしながら周りに合わせることを第一とし、問題を起こさないように怯えひっそりと過ごすことは本意ではないです。(もちろん息子がそうやって生きていくことも応援しますけれど)

私はどうか息子に自分の個別最適な環境を見つけて自信を育み、幸福を追い求めながら意欲的に堂々と生きていって欲しいと願っています。

そのような意味合いにおいて私は先週に『教育の個別化に期待している』という記事を書いたのですが、ちょうど2021年の6月に、この“LEARN”プロジェクトが始動しているとは知りませんでした。

どのようなものか知りたいです。参加させていただけそうな機会があればぜひ参加したいなととても嬉しく思いました😊

“個性”と“キャリア”を繋ぐ支援

個人が最大限の能力を発揮するために

話は“就労・キャリア”へと変わります。

発達障害の如何に関わらず、理想的な働き方って、どんなものでしょうね。

恐れながら私は一般的な“就職活動”というものをしたことがないのであまり詳しくないのですが、多くの人はおそらく就職活動をする前に一度は自分を見つめ直したり、自分の興味関心や強み(弱み)を知ることでキャリアの方向性を見出していくのだと思います。

そうしてそれぞれが最大限の能力を発揮して幸せを追及できる自由がある時、そんな時こそ個人と社会は最も持続的かつ有意義な発展を成し遂げることができるのだろうと思います。

 

日本でも最近は当たり前に転職する人も増えており、とても良い傾向であるとは思います。だけど少し心配なのは、日本ではキャリア転向にまだだいぶ勇気がいるし、そもそもキャリア構築を助ける支援が少ないですね。

自分の強み(弱み)って、自分ではよくわからない場合も多いのです。

特に息子のように発達に偏りがあったり特性がある子の場合には、やっぱり客観的に助けてもらえる何かがあれば助かるのになぁと感じます。

 

これも以前に後輩に聞いた話です。

後輩
後輩

デンマークの働き方が素敵だなって思います😊

デンマークにおいては、働く人間をその人の特性や能力、興味関心に合わせて最大限に生かす支援をするガイダンスを行い、キャリアのために必要な教育に対して公的な支援を十分に行う準備がある。(記事抜粋) 

すごいなぁと思いました。

デンマークでは職場が個人の挑戦を支援する文化/制度が根付いていて、全労働者にその権利が保障され利用可能な状況にあるなんて❗️

そしてそれはもちろん、障害の有無に関係なく利用可能ということです。

 

日本では、障害のある方向けの同様の支援はあるようですね。以下に挙げます。

だけど誰もが利用可能というものはまだまだ少ない(ハローワークくらい?ちょっと違うか💦)のが現状のようです。

真に健康な人がいないように、真に障害のない人なんて存在しないと私は考えています。出来る人は当然のようにどんどん伸ばす、苦手なことがある人には当たり前のサポートを迅速に。それが“どのような人も生きやすい”ことにつながるのではないでしょうか。

LITALICOワークスによる就労支援

一つは先に書いた株式会社LITALICOの事業の一つである“LITALICOワークス”による就労支援が挙げられます。

LITALICOワークスは障害のある方の「働きたい」をサポート



この支援は障害のある方に限られますが、就労の準備段階から相談可能で、面談やインターンを通して個人の強みを客観的にアドバイスして業種選択に活かすことで適材適所をはかっていくための支援のよう。さらに就職後にも職場内での合理的配慮を得るための職場定着支援までが利用可能だということです。

QUOKKA JOBによる就労支援

もう一つ、障害のある方の就労支援には就労支援A型とよばれる事業を展開しているQUOKKA JOBがあるそうです。

QUOKKA JOB公式サイトより転載

QUOKKA JOBでは下記のサポートが可能なよう。

  • 専属のスタッフが付いて、自分の能力が生かせる企業を探すことができる
  • インターンや職場体験実習を通して、自分の得意や不得意を確認することができる
  • 働く前に就労に必要なスキルのサポートが得られる
  • 「自分にあった職場」探し後もその業務ができるようになるまでサポートしてくれる(2年程度)
  • 仕事におけるコミュニケーションや仲間とのやりとりの方法も教えてもらえる

なるほど。とても重要な取り組みです。ありがたい。

自分の強みを知りそれを活かすことは、就労にとってとても大事なことです。

そして仕事を続けるということは、障害の有無に関係なく、誰にとっても工夫と成長、挑戦の連続であり時には辛いこともあるでしょう。

さらに重要なのは、その頃には親は助けてあげられないかもしれないことです。

必要な時に伴走してくれるこのようなサポートがあることは心強いと思います。このような支援が存在することを、ぜひとも私は知っておくべきであると感じました。

 

願うならばそのようなサポートが、障害の有無の枠を超えてもっと広がるといいと思いました。例えば息子は現時点で未診断であるのでこのような支援は利用できるか分かりません。もちろんこのような時のために、然るべき時期に“診断”を得ることも我が家では重々考えてはいます。

 

だけどね、大事なことは、障害があるとかないとか、そういうことではないはずです。

真に健康な人がいないように、真に障害のない人なんて存在しないのです。

 

それぞれが最大限の能力を発揮して、幸せを追及していくように生きてほしい。そのために、社会がどうあって欲しいのか。

それについてはまた引き続き、考えていきたいと思います。

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