みなさんこんにちは✨
昨日、私と息子は久しぶりに山歩きへと行ってくることができました😊
お天気がイマイチだったので当日朝5時まで出発自体を迷いましたが、西から崩れるお天気から逃れるように遠のくように、同行の山友達と直前まで議論がなされ、当初予定した両神山(北秩父)から茨城方面へと行き先を変更したことが大正解🙌✨素晴らしい春山登山を楽しむことができました😊
息子もずいぶんリフレッシュできたみたいです。そんな親子登山の様子については、いつかの土曜日にでもまた改めて記録したいと思います。
さて、今日は私はとっても驚いた、“ご挨拶言葉”という文化について記録しておこうと思います。以前に書いた記事に関連し、当サイトを読んでくださる方から聞かせていただいた話です。日本は狭いようで広いのですね💦
私や息子のように、遠回しな言い方を察することに困難がある人にとっては対応に苦慮する文化の地域があるようです。居住地もまた、重要な環境選びかもしれませんね。今日はそんな話です。
ご挨拶言葉という文化
地域独特の、遠回しな表現が存在する
“ご挨拶言葉”ってご存知ですか?
お手紙とかの、時候の挨拶ではありません。
例えばそれは、こういうもの(↓)です。
最初に申し上げておきますが、私はあくまで聞いた話であって実際に体験したわけでははいので本当のところは分かりません。
だけどさ、京都あたりにお住まいの方は“お茶漬けを提供する”ことを暗に“早く帰ってほしい”という気持ちで仰るのだとは噂話で聞いたことがある気がします。
言いたいことがあるならばそれをはっきり言えば良いものを、敢えて伝わりづらく話すなんてほんまかいな!?と思いますよね😅
それに私の友人の中の京都人にはそういう節は無かったように思うけど🤔それとももしかしたら、私が気づいてないだけかしら?🤔ということで、早速京都の友達に尋ねてみれば、こんなことを言っていました。
普通にマンションに暮らしている分にはそんなことは全く感じない。京都でも、もっと歴史ある辺りは違うのかもしれないけどね。
なるほどね、京都の中でも地域差があるのかもしれないということね🤔
京都府には海はあるけど、歴史ある地域の人たちは『京都に海はない』と言うという話は聞いたことがある。
なにそれ、面白い🤣
なるほどね〜、どうやら“京都”は京都府にあらず🤣京都にも色々な地域があるのでしょう。そしてその一部においては、特有の言い回しをする文化が根ざしているということか?と、私はそんなことを想像しました。
一通のLINEから
さて、どうしてこのような話を突然書いたかと言いますと、先日に私が書いた下記の記事(↓)について、LINEで感想をいただいたことがきっかけです。
このご感想を寄せてくださったMさんご自身は関東でお育ちになったとのことですが、Mさんのお母様のご出身が西日本とのことで、このようなご経験を私に話してくださいました。
Mさんのお母様は、度々このように仰っていたということです。
関東は『ご挨拶言葉』が無いから楽だわ~❗️
そのMさんがおっしゃるには、
私はよく“今度遊びにきてね問題”と言っているのですが(笑)。
関東では「今度遊びにきてね」と言うのはそれは「本当に遊びに来て欲しい」と思っているからで、遊びに来て欲しくない人には絶対に言いませんね。
ところがこれが(九州出身の母曰く)西日本になると、本当は遊びに来て欲しくない人にもご挨拶言葉として「今度遊びにきてね」と言っちゃうらしい(これを真に受けて酷い目にあった友人がいました…。)
なんとまぁ。来てねというから行ったのに、冷たくされたら堪りませんよ🤔
だけどこのお話から、“ご挨拶言葉”というものの実態がなんとなくでも分かりますね。
“ご挨拶言葉”=挨拶程度の気持ちで発せられる、心にも思ってもいないお言葉
というところでしょうか。どう?もっと良い言い方がありそうだけどね、取り敢えず😅
ご挨拶言葉はなぜ発達したか
怖いねぇ。
だってさ、例えば『良い時計してますなぁ』の件であれば、話が長いなぁと思ったのならそう伝えれば良いですよ。それでも事情があってやんわり言いたいのであれば、私はこんなふうに言えば良いと思います。
時間なので、そろそろ結論に入ってもらえませんか?
さらにそれも言いづらければ、結論を引き出すための言葉を掛ければ良いですよ。例えばそれは、こんなふうに言えば良いはずです。話はもう十分に伝わったぞと示せるのではないかしら。
それは結論として、〜という解釈で間違っていないでしょうか?
(注:私の脳内台本より例を挙げています。おかしかったらご指摘ください)
だけどね、それを『良い時計してますなぁ』と言っちゃう地域があると言うではないですか。私はびっくりしたし、なんというか、その土地に住んでいなくて良かったわぁ💧とさえ思っちゃいました😅
それではどうしてそんな言い回しをする必要性があるのでしょうか?ここで、LINEをくださったMさんはこのような仮説を立てておられました。
新興住宅地のような場所ではそれぞれに出身地が異なりバックボーンも全く違うため「○○が当たり前」という共通認識みたいなものがみんなバラバラです。そして個人主義が強く、地域のつながりが希薄だったので頼りになるのは「言葉」しかありません。
ところ変わって西日本では、地域やお隣さんとのつながりが深く、各家庭のバックボーンも近しくて言わなくても分かり合える土台があるから、ストレートな物言いは強く響きすぎてしまうため、遠回しな表現だったり、定型のご挨拶言葉が発達したのかなー?と私は思っています。
つまり言葉は潤滑油的な役割がメインなため、言葉自体に深い意味はないのではないかと。
なるほどです。そう言われると分からんでもない。…いや、やっぱり分からん😅言葉自体に意味がないってなんやねん、とは思っているけどまずは話を進めましょう。
ポイントは、その地方では通じるという“定型文”としてのご挨拶言葉が発達したという点ですね。一種の方言みたいになってるのかな?東北などでもありそうですが、そもそも単語自体が異なる方言ってありますよ。そういうものだと思えば良いのかな?それが、余所者にも理解できる単語の組み合わせで成り立っているというだけで。
初めからそう理解しておけば、対応できるかもしれません。事実その地域で育った方は、その“方言”を使いこなしているのですから。
居住地選びは環境選び
だけどまぁ、先日も書いてみましたが(↓)、私や息子は“事実重視”のコミュニケーションをしがちであるので言葉の正確性へのこだわりなども強いです。
さらに私は若い頃には、その言葉の正確性を相手にも要求してしまうことが度々あって、それがトラブルだったりヤキモキだったりのストレスにつながることもありました(今は理解して気をつけているつもりです)。
そんな我々を想ってくださり、Mさんはこう言われました。
狭いようで、日本は広いです。
息子さんの事実重視のコミュニケーションは、東京で暮らす分には大きな問題にならないのではないかと思いますが、地方に行くと理解不能な事が多くてしんどいかも知れませんね~。
私たちのようなコミュニケーション特性のある人は、居住地という環境も選んでいくことを意識したほうがいいのかもしれませんね。
そういう話を聞くことができて、私は大いな気づきをいただいたように感じました。
そういえば、その点では札幌も最高でしたね。ドライな人が多いし、女性が自立していて強いので謎の男尊女卑(?)も感じたことはありません。
振り返れってみればたまたまですが、私が18歳で親元を離れて以降の居住地選びは恵まれてきたのだと感じました。また、地方でそのようなコミュニケーションに馴染めず悩む子供は、勉学に励み、いつかきっと力をつけて都会で自立することがアドバイスとして有効な場合があるのかなぁ🤔と思いました。
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