みなさんこんにちは✨
少し前、私は我が家の息子、娘に続いて私自身もまた心理検査を受けたことを書きました。
もちろんこの心理検査は自分の知的特性を推し量るために受けるものに過ぎず、この結果をもってのみ発達障害(神経発達症)の診断を受けるものではありません。
しかし先日、私は必要があって医師に診断書を作成していただいた際、そこには私の“診断名”が書かれていました。このことはまた一つ、私が自身への理解を深めるきっかけになっただろうと思います。
知的特性の極端な凹凸+生活上の困り感。
この両者を持って発達障害(神経発達症)という診断がなされるのだろうと思います。私はこの診断を、自身のために有効に使いたいと思っています。
私の診断書
“特定不能の神経発達症”
心理検査を受けてしばらくしてから、私はちょっと必要があって医師に私の“診断書”を作成していただくよう依頼をしました。
今月の中頃に私はその出来上がった診断書を受け取ってきたわけですが、なるほど、そこには私の“診断名”として、
“特定不能の神経発達症”
という言葉が書かれており、これを私は心から興味深く感慨深く受け取りました。
“神経発達症 (Neurodevelopmental disorders)”というのは、今年(2022年)の1月にWHOによる新しい疾病分類(ICD-11)が発行されたことで、かつての発達障害 (Developmental disorders)とされていた種々の疾病が実態に即して整理され、新しく作られた呼称です。
正式には、“発達障害”という呼称は既に過去のものになっています。今後は徐々に神経発達症という単語に置き換わっていくでしょう。お世話になっているスクールカウンセラーさんも既にこちらの呼称を使っていて、当サイト名もいずれ変更しようかなーとは思っていますがまぁそれはまたそのうちで✨
さて、ICD-11において、“神経発達症”の中には以下の疾病が分類されています。
06: 神経発達症 (Neurodevelopmental disorders)
- 6A00 知的障害 (Disorders of intellectual development )
- 6A01 発達性発話または言語症 (Developmental speech or language disorders)
- 6A02 自閉スペクトラム症 (Autism spectrum disorder)
- 6A03 学習障害 (Developmental learning disorder)
- 6A04 発達性協調運動症 (Developmental motor coordination disorder)
- 6A05 注意欠如多動症 (Attention deficit hyperactivity disorder)
- 6A06 常同運動障害 (Stereotyped movement disorder)
- 8A05.0 チック障害 (Primary tics or tic disorders)
- 6E60 二次性神経発達症候群 (Secondary neurodevelopmental syndrome)
なるほどね。
私はとにかく、『現状ではまだ詳しく調べていないけれど(特定不能)、何らかの神経発達症ではありそうだ』という医師のお見立てを受けたわけ。
何やら少々曖昧ですが、しかし私はこの診断書を見た時に、なんとも言えない、なんだかとても晴れやかな気持ちになりました。
診断は自分を知るためのツールでしかない
私はこの診断書を見て、”とても晴れやかな気持ち”になったと書きました。
おかしいですか?
どうだろう。
私には国際疾病分類にもしっかり明示されている“障害”があると医師に言われたにも関わらず。
しかしこの時の私は、本当に晴れ晴れとした気持ちでした。
ところでここ1年ほどの間に、私はすっかり #発達障害 #神経発達症 #高IQ #ギフテッド(2E) が自身のライフワークになりました。
そのため最近の私はこれらのキーワードに触れる方々にお会いしたりお話しさせていただいたりする機会も増えてきているわけですが、中にはこのように仰る方にも割と高い頻度でお会いするような印象です。
『怖くて検査を受けられない』
うん、それもまた、分からんでもありません。
このように思っておられる方々はおそらく、検査を受けて、自身には“障害があるのだ”と医師から宣告されることが怖いのだろうと想像します(←私はこの手の推測は苦手なので、もし違う解釈があれば教えてください)。
もちろんそう思っておられる方は無理して診断を受ける必要はありません。診断があろうがなかろうが、あなたはあなたに違いなく、あなた自身の特性を持って生きていくことに何も変わりはありません。
だけどもし、そこに生来悩まされてきた特別な“困り感”の正体を少しでも知りたい気持ちがあったとしたらどうだろう。
私自身にも、困り感や生きづらさのようなものを感じる機会はこれまで何度もありました。なぜか人と意見が合わない、行動原理が理解されない、人の言動が理解できない。子供の頃の私はそんな違和感に悩んだし、少し大きくなった頃には周囲の人と深く関わることを辞めようとして、出来るだけ周囲を遮断して孤立しようとしたことさえもありました。自己防衛のためだったとは思いますが、非常に残念な時期を過ごしたと思っています。
幸い大人になるにつれ、私は友人や恩師に恵まれて、なんとか自分の立ち位置を確立することができました。今では家族にも恵まれて、一見問題ない程度には社会生活も送れていると思っています。
しかし今でも仕事上の問題や感情処理の問題などで、やはり難しさは残ります。
おそらく私は今回の診断名を見た時に、そんな困り感の実態がようやく明らかになったことに加えて、そして私がずっと密かに抱え込んできた困難がようやく他者からも認められた。そのように感じられて私は安心したのかもしれません。だから、とても晴れやかな気持ちになったのだろうと思っています。
もちろん、診断を受けることを嫌がる人もおられます。私の息子もそういうタイプ😅(↓)。
捉え方は様々です。
“診断”を受けようとすることはそれも自己理解の一環であると思えるように、つまりそれもまた人としての自然な在り方の一つなのだと自分のことをニューロ・ダイバーシティ的に捉えられるようになってからで良いのだろうとは思います。
診断を自分の力に
最初に書いたように、心理検査は自分の知的特性を推し量りそのアセスメントを構築するために受けるものにしか過ぎず、この結果をもって発達障害(神経発達症)の診断をなすものではありません。
しかしこの結果で示されるそれぞれの知的特性の項目間において極端な凹凸が見られる場合、その人の中には何らかのアンバランスさが存在することが推察され、事実、本人にとっても情報のインプットや解釈、アウトプットに困難が生じていることを改めて自覚させられる機会になることと思います。
以前に息子の教育相談を担当してくださる心理士さんは、『診断というのは生活上の困り感をもとにしてなされます』とも仰いました。
その時は、息子の場合は『彼の困難は家庭内でほぼ吸収することが可能(←私がすぐに動けるからです)なので、診断は本当に困った時で良いのでは』という話をされました。心理検査でいくら凹凸があっても、生活の上で自分も周囲もそれほど困っていなければ診断はつかないのだということでしょう🤔
今回、私の診断というのはそんな“困り感”を自分も周囲も今一度しっかり自覚して、これからその困り感を少しでも和らげていきましょうと、そのための最良のツールになるのだろうと感じました。
私はこれを自分のために、自分のアイデンティティをよりしっかり認識するために、有効に使って行きたいと思いました。
コメント