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6月になりましたね。
世間は”衣替え”の季節です。
だけど、我が家の息子は相変わらず『半袖』の衣類を着ることを嫌がり続けています。
この衣替え時期の混乱は、我が家では毎年の季節の変わり目ごとに訪れるまさに定番の出来事です。
だけど今年はさらに難航しています。
先日、私は息子に
『半袖がどうしても嫌なのなら、Tシャツは長袖でもいいから、せめて半ズボンを履いて行って!』
そう提案しました。だけど、やっぱりそれもうまくいきませんでした。
一連のやり取りから、私は言いようのない絶望感・息子への悲観を感じてしまいました。今日はそれを記録しようと思います。
息子の将来を悲観してしまいました。どうしたら良いのかもう分からない…
私の悲観
家から半袖を着て出たが、学校で長袖に着替えていた
息子にどうしてそんなに半袖の衣類が嫌なのかと聞いてみたら、
だってなんか気持ち悪いもん
と、息子はそう答えました。
気持ちが悪い。
その感覚は私にはよくわかりませんが、とにかく、嫌なものは嫌なのでしょう。
今年の衣替えに関する数々のパニックとそれに対する私の考察はこちらから読み返していただけます(↓)。
いつも衣替えが困難なのは、息子の幼い頃からのものに対する”こだわり”も関係していると思います。
息子はこれと決めたものを意固地なほどに使い続ける傾向にあります。何かを変化させること自体が難しいのです。
または、私が買い揃えておいた半袖の衣類が”気に入らない”のかと思いました。
息子は昨年に10cm以上も背が伸びたので、もう去年の服は全然着られないのです。だから、今年は私が息子の衣類を買い揃えておきました。
『それが気に入らなくて着られないなら、一緒に買い物に出かけて好きなのを選ぼう?』
そう提案しましたが、息子は基本的に外出や人混みへ行くことが好きではありません。
『新しいものを買いにわざわざ買い物に出かけるくらいなら、今ある服を着るので構わない』と息子は言いました。
もう一つは、”感覚過敏”の可能性。だけど、感覚過敏だからと言って特別な対応策があるわけではないので見守るしかないことが現状です。
そのような中、先日の投稿でも書きましたが、こんなことがありました。
暑くなる日に息子は『半袖を着ていきなさい』と私と夫に言われて泣く泣く半袖を着て家を出ました。だけど、こっそりランドセルに長袖の衣類を入れていき、学校に着いたらすぐに長袖に着替えていたということがありました。
気温が30度近くもあった日の夕方に、息子は春先に着ていた長袖のTシャツと冬物の長ズボンを履いて、何事もなかったかのように帰宅したのです。
あれ?なんで長袖?
驚きそう尋ねた私に、息子はサラッとこう言いました。
半袖が嫌だったから、長袖も持って行って学校で着替えた!
呆れと悲観
これに対し、私は大いに呆れました。
呆れの中身は、
そんなに嫌か〜。だったらしゃあないな〜😅
っていう苦笑いの気持ちが半分と、
あまり考えたくはないけれど、私の心にどうしても重くのしかかる、
この子は何度説明しても意図を聞き入れることができないばかりか、こんなしょうもない解決策を取ることしかできない人間なのか…。
という彼の将来を悲観する気持ちが半分です。そんな気持ちが湧いてきて、何日か経ってもこれを自分で抑えることができませんでした。
そんなに嫌ならしゃあないな〜、ハハハ😅って、できるだけ思うようにしています。
全く聞き入れられないことが、まさに息子の”障害”なのであると私は十分知っています。
私はそんな息子を理解して受け入れなければいけないし、しっかり向き合って息子に生活していくための術を、本人が納得するまで何度も何度も教えていくつもりです。
だけどこの時、長袖をこっそり持って行って平然と帰宅した息子を眺めながら、
社会的には、どうなんだろう。他人の中に入ったらこの子はどんな評価だろう、という気持ちが湧いてくることを私は抑えられませんでした。
危ないからやめた方がいいと注意して、その場で不貞腐れながらも一旦は聞き入れたフリをした。
だけどその人の視界を外れた途端、やめた方がいいと言われたこともこっそり平気な顔でしてしまう。しかもそれで本人は満足しており、何も悪びれていないのだと知られたら。
他人の場合、
『しゃあないな〜ハハハ』では、済まないだろうな…。と思いました。
最悪、コイツは馬鹿だと思われるんじゃないか。
話が通じない相手だと、見限られないだろうか。
一旦は聞き入れたフリをして、まるで騙すようだ。卑怯な人間だとさえ思われないだろうか。
衣替えの話なら良いのです。
それに、子供のうちは大人から『ハハハ』で済ませてもらえるかもしれません。
だけど、社会に出て役割を担う。仕事を教わり実行する。そんな機会が、もう10年もしないうちに彼には必ず訪れる。その時、息子のこの”障害”は他人にどういうふうにうつるのだろう。
私はゾッとしました。
きっと大きな落胆を相手に与え、『あっそう勝手にすれば?』と突き放されて、そこで終わりだろうなと思ったのです。
全て私に浮かんでくる悲観です。
私はこの時実際に、息子を卑怯な人間だと残念に思いました。
私は彼に”発達障害”があることを誰よりも知っているのに、です。そんなことを考え思ってしまう自分が悲しいです。
だけど息子を生物として育てることに加え、社会的な成長を促すことも大事な私の責務です。このままではいけない。
だけど私はこれに対して一体何ができるのだろうと考えていくうちに、心がどんより沈んでいくような感覚に陥りました。
どうしたらいいだろう。
半ズボンを履いて行ってという提案
他の子の服装を見て、私はショックを受けた
5月の末頃にそんなことがあって。
しばらくは服装に関しては何も言わず、息子の好きなようにさせていました。
だけど6月に入ってすぐ、私は学校に行く機会があって、そこで他のお子さんの服装を見渡して大きなショックを受けました。
その日も最高気温はゆうに27度を超える予報で、家では朝から陽当たりの良いリビングにエアコンをつけていたほどです。しかし息子はいつも通り長袖のTシャツに長ズボンを履いて家を出ました。
私は息子が家を出た少し後に大事な忘れ物に気がついて、すぐに自転車に乗って登校した息子を追いかけました。
幸いにも、校門の少し手前で息子に追いつくことができました。
忘れ物を渡して、改めて『行ってらっしゃい、今日もがんばってね😊』と息子に声をかけて、私は校門に入っていく息子を見送りました。
だけど、そこで私は気が付きました。
登校していく児童の、学年や男女を問わず、そのほぼ全員が半袖のTシャツを着ています。
多くの子が、肩から大きな水筒も下げています。
続々と校門に入っていく子供たちの腕は健康的に日焼けして、大変子供らしい、溌剌とした印象です。すなわちその子達は絶対に、昨日今日から半袖を着ているわけではないのです。
また、半袖のみならず、ショートパンツの男の子や女の子もたくさんいます。
そう、6月の東京はもう夏であり、みんな夏の装いをして当然の気候になっているのです。
『長袖のTシャツをきて真冬から同じ長ズボンを履いている子は、本当にうちの息子だけなんだなぁ…』
私はそんな事実を目の当たりにし、ショックを受けてその場にしばらく立っていました。
少し前。
息子にその服装で学校では暑くないのかと尋ねた時、
息子は『教室にエアコンがついてるから平気だよ』と言っていました。
だけどさ、今見たら、他の子はみんなほぼ全員が半袖じゃん。
もちろん他人と比べることが全てではありません。他人がどうだからこうしろと、考えもせずに右へならえということを言うつもりは私は一切ありません。
だけど、状況に適応することは、とても大事なことだろう。
やっぱり息子がずれている。本人の意識はともかく、息子が気候に適応していないことは間違いない。
このままでは危険だ。夏に倒れたら、どうしよう。
熱中症で亡くなる子だっているのに、そもそも息子は水分摂取量も少ないし、小さい頃から汗をかきづらい体質だ。体感温度が鈍いところも大いにある。どうしよう、万が一にも息子を失うなんて、絶対に私はその先を生きていけない。そんなことは私には絶対に考えられないし、考えたくもないことだ。
ショックを受けて、そんなどうしようもない思いを巡らせながら、
それでも私はどうしたら良いかが分からないまま再び自転車に乗り、ゆっくりと自宅に戻って行きました。
長袖はそのままでもいいから、半ズボンを履いて行って欲しい
その日1日考えました。
そして、夕方に帰宅した息子に、私はこう提案しました。
半袖がどうしても嫌なのなら、長袖のTシャツのままでもいい。
だけどその場合は、どうか半ズボンを履いていくことを約束して欲しい。
すると息子はこう言いました。
わかった。それなら大丈夫。
とてもすんなりと承諾してくれた息子に私は心から安堵しました。
良かった。
こうしてステップアップしていくしかない。
こうして息子を守っていけばいいのだ。息子の苦手は私が補うって決めたんだ。
大丈夫、私は絶対に息子を守ることができるんだ。
そして翌日、息子はいつもの長袖のTシャツに、半ズボンを履いて息子は登校したのです。
そう。
確かに私は息子が半ズボンを履いて登校したことを玄関先で見届けました。
だけど、
その日帰宅した息子は、着て行った長袖のTシャツに、いつもの冬用の長ズボンを履いて帰りました。
私は、すぐに気が付きました。
だけど、何も言いませんでした。
きっとこっそり長ズボンを持って行って、学校に着いたらいつものズボンに履き替えたんだろうな、って思いました。
『疲れた〜!!ただいま〜!!😄』って大きな声で笑顔で帰宅した息子を見た時の、私のどうしようもない悲しさ。虚しさ。
前日に、私が『明日はどうか半ズボンで行って欲しい』と言った時。息子は笑顔で『わかった、それなら出来る』と言いいました。
確かにそう言ったし、その朝はすんなり半ズボンに着替えてきました。
だけど実際は、その前夜のうちにはもう息子は学校に行ったら着替えることを心算していて、明日の自分のためにしっかりとカバンに長ズボンを入れていたのではないだろうか。
息子は、昨日のうちから私を騙すつもりでいたのだ。
そんなことをされるくらいなら、今朝も嫌だ嫌だと泣いて暴れてパニックを起こされた方がどんなにマシだっただろう。
この日。私は、息子に何も言うことができませんでした。
この子はこれで良いと、本当に思っているのだろうか。
これが正当な判断だと、息子は本気でそう考えているのだろうか。
これからも、息子は何事においても、こんなどうしようもない解決策を取って生きていくのだろうか。
それともこの子は本当に何も考えておらず、自分が何をしているかも全く分かっていないのか。
だとしたら、私は彼に一体何をしてやれるだろう。
そうか、その時には私も息子と一緒に死のう。そして先の世で息子が困らないように、また一番近くで私は息子を支えよう。私には、もうそうすることしかできないのではないか。
私は涙が出てきました。ひどく悲しくて虚しい気持ちでした。
だけどすぐにキッチンで顔を洗い、帰宅した息子におやつを食べさせてから塾へ行かせるまで、私はできるだけ息子に普通に接するように振る舞いました。
続きがあるのですが、長くなりましたのでまた改めて書きたいと思います。次はきっと衣替えの話の”完結編”になるはずです、たぶん、これから何事もなければ…笑。
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