みなさんこんにちは✨
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
お盆ですね。
近年では、夏休みを分散して取られる方も増えたという話も聞きます。お盆だからと、この時期に必ず夏休みを取ったり、何かを必ずしているぞという、そんな人も家庭もだんだん少なくなっているということでしょうか。“選べること”が大事です。多様性とは押し付けたりするものでなく、在り方を自分で選択できることを指す言葉です。
私たちも昨日の8月13日には、お盆の真っ只中ではありましたが、オフラインでの情報交換会という名目の交流会を都内会場で開催させていただきました🙌その開催報告もいずれまた書かせていただくつもりですが、私を含む約20名の参加者で途切れなくお話が展開されたので書き切れるかどうかはやや不安…😅
新しいつながりが生まれたり、それぞれに有意義な場となっただろうと感じています。とても楽しい1日でした。
我が家も『お盆だから』と特別に何かをする家庭ではありませんでした、これまでは。都会の核家族というのはそういう家庭が多いのではないかと思います。しかし、私にとっては今年のお盆は少しばかり特別でした。
先月7月に私の実母が急逝し、やることも多かったけど色々なことを考えてきた、そんな一月余りであったことを振り返ります。
その中で、印象的だったことがありました。私の娘(7歳、場面緘黙症を克服中)が多感であること、とても豊かな想像力の持ち主であること、そんな娘が私の母を想ってくれて、それがとても面白いなと感じました。
先日私が娘とお散歩をしていた際、私たちは近所のお宅で一足早く精霊馬のキュウリ馬とナス牛が飾られているのを目にしました。
あ、キュウリうまとナスうし!ここのお家は、もうご先祖様を迎えに行ってるのかなぁ?
よく知っとるのう、学校で習ったの?
お盆か〜、ばあちゃん(私の母)は来るのかな?うちでも今年は作った方がいいのかなぁ🤔
そうか、お盆か、初盆か?私は母に何かしてやれることはあるのだろうかとしばし考えておりました。そこへ娘が、恐る恐るという雰囲気で言いました。
お母さん…今年は作らない方がいいと思う。
え、なんで?娘ちゃんは乗り気じゃないの?
だってさ、ばあちゃんは死んだばっかりなんだよ。
まだ旅に出ているかもしれないし、ごあいさつとかお友達作りとか、自分のお父さんお母さんに会ったりとかでも忙しいかもしれないよ。
だから今年は迎えに行ったら迷惑かもしれないよ。
なるほどねぇ。葬儀の時に私たちは「亡くなった方は49日忌まではあちこちを巡る旅に出ている」のだと聞きました。そして納棺の時には、私と私の弟と、息子と娘も祖母のためにと旅支度の杖や衣装、六文銭を棺に丁寧に入れました。それが印象的だったのでしょう。確かにまだ母の49日忌も済んでいないのだから、母はまだ旅の途中である可能性はかなり高い。
さらに言えば、娘はこの春私たちが転居をした際、ご近所へのご挨拶には必ず同行してくれました(←息子は一度も来なかったけどな、笑)。それがなかなか、お留守だったりタイミングも難しく、転居してからもしばらくは私たちはご挨拶を達成できず、娘はそれをいつも気にしていたのです。
お母さん、またお留守だったね。夜にもう一回行ってみたらいいんじゃない?
そんな娘は、祖母はまだ向こうに行ったばかりでバタバタしていて忙しいかもしれないのだから、こちらの都合でキュウリ馬を迎えにやったら、
・気を遣って自分の旅を切り上げてしまうのではないだろうか?
・そのことが祖母の手間を増やし、新しい生活に慣れるまでのかえって負担になるのではないか?
そう不安を感じていると話しました。
気持ちは分かる。
しかしそれには私にも、考えるものはあるのです。
お母さんは、ばあちゃんが生きてる時にあまり孝行できなかった。娘ちゃんの気持ちもわかるけれど、例えば他所のおばあちゃんたちはみんな迎えの馬が来ているのに、ばあちゃんだけが迎えも来ていなかったら寂しい思いをさせるんじゃないかとも思うんだよね。こちらでは気にかけてるよとは伝えたいなと思ってる。
私たちはしばらくあーでもこーでもないと悩み続けて会話を重ねていましたが、落とし所はこうでした。
じゃあ迎えには行ってみて、あとはばあちゃんに任せたらいいよね。
それはいいね、忙しかったら今年は無理に帰ってこなくていいしね。
キュウリ馬にそうやって伝えておくか、メモを貼っておいたらいいよね。
それは良い案でしょう。というわけで、まずはキュウリ馬だけ作ることになりました。今年のお盆の帰省については、母の意思に任せることで決定です。このエピソードには娘が祖母を思い遣り、大切に思う優しい気持ちが込められていたと思いました。
ところがどっこい。
キュウリ馬を作ったことを、たまたま私の学生時代の同級生で今はお寺の住職をやっている友人の耳に届いた際、私たちには衝撃的な言葉が返されました🤣
四十九日忌を迎えるまでの間を中陰と言います。四十九日忌を迎えると満中陰と言います。満中陰を迎えた後に初盆を迎えるからまだお母さんは初盆ではないね。
そうなんだ😳今年はキュウリウマをもう迎えにやってしまったけれど、行っても母はまだ不在ということかしら。
また来年やな、ありがとう。
娘さんの感覚が研ぎ澄まされとるね。素敵な感覚ですよ。
住職をしている友人は、そんな娘の感性を優しく誉めてもくださりました😊
そうだよね、なんだか娘は豊かな想像力がある子供です。果たして私が同じ年頃だった頃合いに、こんなふうに祖母を思って想像を巡らせることができただろうか。
そしてキュウリウマ作製の翌日、8月13日の夜こと。
ウマは速やかに浅漬けとなり、私の日本酒のつまみとなって役目を終えていきました。お疲れお疲れ、私の母を迎えに行ってみてくれてありがとうね。また来年頼みますよ。
そうして私が気持ちよく酒を飲んでいると、通りかかった息子が急に大きな声を出しました。
お母さん!!それ(←キュウリ)、仮にも精霊だよ!!なんてことを!!
行事は亡くなった人のためのみならず。今に生きてる人こそ大事。バチは当たらん、大丈夫だから案ずるな。
これからもまた私たちは、お盆や法事の節目にも、日常のなんでもない日々にでも、家族であれこれ思いを巡らせ話をすることがあるでしょう。そんな日々を持てることが、すなわち恩ある親を思い、敬うということなのかなと思います。
今年の我が家は、豊かな想像力を持つ娘が向こうに行ったばかりの母を優しく思い遣ってくれました。あなたのそんな優しい気持ちが私は嬉しい、母に届くと良いなと思う。私は家が明るく照らされているような、温かい気持ちを感じました。
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