みなさんこんにちは✨
本当に本当に、おかげさまです🙏
当サイトは今日この記事で“500記事目”の投稿となりますことを大変嬉しく記録するとともに、それに伴う私の気づきや発見、今の気持ちなどについて記録しようと思います。
振り返れば当サイトを開設したのが2020年の初冬でした。それからはや2年半が経とうとしている今、
思えば長く続けてきたものだなぁ…
無事に500記事目の投稿を書いていることには自分でもちょっとビックリしているというのが実感です🤣
これまでも、節目としての100記事目や300記事目の投稿の際にはちょっと一言残しておりました(当サイトの歴史が詰まっておりますので良かったらお目通しくださいませ:↓)
100記事目に書いた想いを振り返ると、それは今の私の心もそのままだなと感じるばかり(↓)。
そのような中でふと、私が2020年にしたこの怒涛の経験は私の思い出だけにしておくわけにはいかないのではないかと思いました。
私がこれから息子の特性に向き合おうとする後悔と決意は、なんらかの形で記録しておかなくてはならないだろう。そう思ったことがきっかけでした。
そう。
あの一連の経験から始まった、悔やんでも悔やみきれない大きな悔いと、何よりも、私が誰より愛するはずの息子をこれまで全く守っていなかったという無力感と罪悪感。
当時の私は、私は一体息子の母親として彼の何を見てきたのかと申し訳なさに押しつぶされて、ただただひたすらに膝を抱えて動けなくなっておりました。
だけど、それでも私は前を向く。
過ぎ去ってしまった取り返せない10年間を、私は全部抱え込む。
そしてこれからの10年間を、私は私の新たな覚悟で生きていく。
当サイトの開設は、そんな私の決意の表れだったのです。まるで昨日のことのように覚えています。生涯忘れることはないでしょう。
あれから、もう2年半が経ったのか〜。ただただ感慨深いです😭
当時小学3年生だった息子も今は中学生。
そしてその妹である娘もまた場面緘黙症という困難を持っていると明らかになり、その対応にも全力を注いでいるつもりです。
私は仕事をしているわけでもないのに毎日どこかへ出掛けて行って、どんなことでも、少しだけの手がかりでも“支援”や“つながり”、そして自身の行動力を支える“知識”へと繋げるために必死でした。日々のスケジュールは分刻み、とまでは言わんけど(笑)、隙間があればやりたいことは山積みでアンテナを高く高く張りたくて、そうして夜は倒れるように眠っていました。
色々なことを乗り越えてきた、私にとってそんな2年半だったと思います。
うん、突っ走ってきた感はある。
そのおかげかはわかりませんが、今の私は息子も娘も私自身も良い方向へ進んでいると手応えを感じることができています。
500記事目を書くにあたり、やっぱり私が思うことは私たちを支えてくださる皆様への感謝です。
当サイトを介して知り合った方々、いつも本当にありがとう😊
似た状況、子供の資質、同じ苦労。たくさんの共感、そして励ましや勇気や前向きな展望をいただきました。
当サイトを訪れてくださる方々、支援者、主治医、私たちに関心を向けてくださっている全ての方に心からの御礼を申し上げたく思います。
ところでですが、
500記事って、実は結構すごいことでは!?と自画自賛で思っています😎
ここまで続けてくるとは思っていなかったというのが正直なところ🤣だけどこれを通して気づいたことは、『私は何かしらを書くことが意外と好きだ』ということですね。
サイトの運営は楽しいです。さらに人とのつながりが生まれるという最高のご褒美までついてきます🙌もはや日々の記録は私の日記と化していますが(笑)、文章を書こうとする時に感じるなんとも言えない没入感は私にとってはなかなかの快感であるという点が継続の要因なのかもしれません🤣
特にこれは個人サイトなので、なんでも書けるから最高です😎👍記事を書くのに大変さを感じることはありません。
もちろん『ちょっと今日は気分が乗らないかな…』と感じる日もありますが、そんな時はスッパリやめたらええし🤣だけど不思議なことに『書くネタがないなー』と思うことはありません。
本当に、書きたいネタは毎日無限に出てきます。
毎日我が家は何かしらの事件が起きます。もうそれを早く書き留めたい、だけど書く手が追いつかない!と焦るくらいのネタだらけ🤣
一方で、苦手なことも見えつつあります。本当ならば当サイトも、ただ私の頭の中から溢れ出ることを文章として吐き出すだけでなく、もっと何かほら、構成を考えるとか、適宜見出しをつけるとか、色や強調などで文章を装飾できれば良いのだろうとは思いますが、そういう部分はどうやら私は苦手らしい。いや、時間をかければ出来るのだろうとは思うけど🤔
そういう苦手は割り切って、出来ることを出来る範囲でやっていこうと思っています。もっといろいろな文章を書く仕事などもやってみたいなと思ったりもしています。
また、この2年半の間には私たちにはいくつもの転換点もあっただろうと思っています。その一つについて触れておきたい。
当サイト名にもあるとおり、
私は私の息子のことを、“発達障害の困難があるのだ”とずっと思って接してきました。
私の家系的にもそうですし(←私の実父がなかなかの人でした、父も高IQで昭和の時代の田舎町を騒然とさせるほどの検査値だったらしいとは聞いていますが)、事実、私自身も主治医より“神経発達症”の診断書をいただいているのです。
しかしながら、息子自身には未だ発達障害に関する診断はありません。
いやー、彼は発達障害という気はしないけど。
どうだろうね、すぐにはなんとも言えないけどね。
複数の医師に診ていただいたのにも関わらず、『いわゆる“グレーゾン”というやつなのでしょうが』とも言われつつ、
おそらく、私たちの最大の転換点だったのは、私たちが“ギフテッド”というワードにたどり着いたことだと思います。
ギフテッドってなんやねん。
昔からある、抽象的で、捉えどころが全然なくて謎の言葉だと感じることは今の私も変わりません。
なんだか誤解も偏見もありそうだし、支援が要るのか要らんのかもよくわからんし、将来の成功や学業の成績にも直結しない、ただただ自他に操縦困難な特性を指して使われているカテゴリに過ぎないというのが今の所の私の理解。しかし私たちはそれにたどり着いたことできっと、大事なロープを掴んだのだと感じています。
なぜなら、ギフテッドという言葉にたどり着けなければ、出来なかった環境調整がありました。その調整が息子にフィットしたことは明白でした。
こちらではgifted=障害との認識です。
そう仰った、カナダでギフテッド教育にお詳しい友人の言葉が私の胸にストンと落ちてくるようです。
ギフテッドもまた、生きづらさであり困難である→彼ら/彼女らには適した支援が必須である。
今の私は、その点にこそ強い関心を持っています。
その感情も行動も思考も全て制御不能で激しくて、だけど人一倍繊細で、そんな彼ら/彼女らを支えるための一助になりたい。500記事目まで書いてきて、当サイトでは今後はそちらの方面へ舵を切ってみたいです。
ギフテッドネスについて知り、それを私の息子と私自身に照らしながら、その考えを深めていくことを、今後の私のメインテーマに掲げたい。
どこまで続けていけるかはわかりませんが、今後も生きづらい彼ら/彼女らを見通しながら、知り合う皆様との世間話から議論まで、いつでも楽しく前向きにやっていこうと思います。
今後ともどうぞご指導ください😊よろしくお願いいたします!
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