みなさんこんにちは✨
私自身のキャリアを少し振り返りますと、私は20代で博士号(理学)を取得して、40歳までを化学及び生命科学領域の研究者(大学教員を含む)を職業として過ごしました。
研究職を退職したきっかけは、私の息子:高IQかつ多くの困り感を有する息子がコロナ禍の、突然の一斉休校の施策において大きな異変を見せたこと。彼も混乱したのだとは思います。だけど私も、家族も皆驚きと混乱の中に巻き込まれてしまいました。当時は息子も、そして私自身も心身ともにどんどん限界が近づいてきて動けなくなり追い詰められて、私はもう退職せざるを得なくなった、という状況だったと思います。
そんなキャリアを持つ私は今も、時々ですがこんなことを言われます。
研究に未練はないの?戻りたいとは思わない?
友人とか、友人でなくとも私の履歴書などを見たような人からそう言われることも今なお時々あるのですが、心配されているのだろうとは思いますが、実際は全然なのです、未練は全くありません。
別にね、絶対に絶対にやりたくないんだー!と拒否するほどでもないのだけど、だからと言って特に戻りたい理由もないって感じです😅
一方で、『研究職も良かったなぁ』と思うことは、
研究領域には、私自身もおそらくそうであるようにどこかちょっと個性的で自分軸が強すぎる、こだわりが強かったり自分のやり方に固執したりするような、つまり私や息子とも類似の資質を持ちそうな人がたくさんいたし、プロフェッショナルもたくさんいたし、探究や創る喜び、達成感も含めてですが、人との関わりの在り方が私にとって居心地のいい場所だったとは思います。
そのような中で、私は私なりに、非常に微力ではありますがその時のその仕事に熱中したし一生懸命やりました。よくやったと思ってる。得たものもとても多かった。だから私はこれまでのキャリアには結構満足しているというのが実際の研究職に戻らない理由かもしれません。
それにさ、人生は一つのことしかやっちゃいけないわけじゃない。
加えて、今の私は、難儀な特性を抱えて育ち盛りの愛しい息子、同じく素直で可愛いながらも困難を持つ幼い娘:彼と彼女が大人になる社会を想像し、準備をしたり考えることが山積みなので忙しいことが実際です。
他のことをする時間が、今の私は惜しいのです。私は私で今の自分だからこそできることに注力したいと思っています。そして私が走り続けるその道沿いで、もしも誰かの役に立てたとしたら嬉しいなとはいつも心で願っています。
っと、話が脱線しそうです、私の悪いところです、笑😅つまりですね、何が言いたいかと言いますと、
すっかり研究現場から離れて久しい私ではあるのですが、面白いことに、そんな私の過去のキャリアと今の私がニアミスしたりすることもあるのですから本当に、人生というのは点と点がつながり合って紡がれることを苦笑いと共に感じたりもしているよという、そんな話をしたいのです。
それは、今から少し前。いつだったかな?昨年かな?
私はその日、当サイトの『お問い合わせ』ページを介して届いたメールの中の一通を何気に開封したところでした。なんとその差出人は、私が基礎研究を学んでいた時の、同じ研究所でお世話になった私の先輩だった人でした。その方は確か、今はある国立大学で教授を務めているはずです。
驚きました。
昨日、妻がいつも読んでいるとかいうブログとやらを見せられたんだが、見覚えのある後輩が書いてたからびっくりした。元気?
まぁ元気っちゃ元気ですけど、色々と大変だったんですよ。
そうみたいだな。うちもさ、長男が空気が読めなくて困ってんだよ。妻は結構悩んでるみたい。俺としては『空気読めよ!』っていつも叱ってやってんだけど。
これはあれだ、親も親なら子も子説(↓)の一例だ。なんとも非常に興味深い🤔
そういやそうだ、私が長く生息していた研究職という領域は、こういうちょっと“偏った”方の巣窟だった🤣私と私の息子もまたそうであり、親が親なら子も子であって、なるほど、こんな点と点の繋がりが起こり得るのもまったく不思議ではありません🤣
そうしてしばらく話は弾みました。
いやいや、先輩はそういうけどさ、自分は空気読めてんですか?
俺は読めてるよ!(←自信満々。確かに面倒見のいい優しい人ですが。)
そうね〜。じゃあ先輩は羽生結弦選手が飛ぶような、4回転半ジャンプ飛べます?
は?
空気が読めないという息子さんに『空気を読め』と言うのは易し、しかしそれは実はあなたが『4回転半ジャンプ跳んでみて?』って言われる難度の要求だったりするかもよ?ということですよ。
人類の中にはそれができる人も確かにいるけど、全員が同じようにできるものではないことって色々あると思うのです。
大事なことは、4回転半のジャンプが飛べないからといって人として劣っているわけでは決してないということですよ。実際私も空気とか全然読めないし。はっきり書いといてもらえればわかるんだけどさー。
あー、お前は空気読めない方かもなー、笑(←一般的にはオマエモダ、笑)
つまりさ、息子さんにはあんま無茶言わんでおいてあげてくださいよ、ってことですよ。言われてできりゃ誰も苦労はしてないよ。
そういうもんかねー。
そうよそうよ、空気は読めなくても4回転半ジャンプが飛べなくても、そのまま良い子に育ててあげてくださいよ。と、まさかまさかこんな経緯で会ったこともない先輩の奥様を介し、数十年ぶりの先輩とのコンタクトが実現するとは、面白いものだと思いました。
そんな例は他にもあったりするのです🤣
これはつい先月という最近です。私が個人的に利用しているSNSを介して、私の学生時代の先輩であり博士号取得後は長く企業で技術職を務めている先輩から、10年以上ぶりにこんな連絡が入りました。
中学受験をして中高一貫の進学校に通っていたADHD+高IQの息子が、高校1年生の夏に学校から事実上の退学勧告を受けて大忙しで転校先を探した話、聞きたい?
そうしてたまたまお互いの都合があった平日夜に、都内の焼き鳥屋さんにて10年以上ぶりの再開をすることができたことが嬉しかった。
その先輩のお話で特に印象的だったのは、奥様が先に参ってしまい『もう学校からの電話に出たくない…』と仰るようになったこと、先輩は勤務を調整しその対応を全て自身で引き受けたこと、そして何より、
こういう話は会社でもなかなかできなくてな。
同じ目線で話ができて、共感しあえる人がいるってことが本当にありがたいよ。
と染み入るように言ったこと😢
このお気持ちは本当によくわかります。男性も女性も年代も全然関係ありません、誰しも不安で容易に孤独に陥りがちで、お互いに共感しあえる人の存在を感じたり、話を聞いたり学びとしたり、そうしてまた目を開き前を向いて歩くためにも、私たちにとって“分かり合える誰か”という存在は、本当に大きなものなのですね。
そのお役目に、かつての学生時代や研究者同士の繋がりから、たまたまでも当サイトにも目を留めていただいて、私を思い出してくださったことは嬉しいことだと感じました。私がこれまで、我が家の私たちの困難を細々とでも発信してきて良かったとも思いました。
正直に言って、私はもう、研究とは関わることはないだろうと思っていました。当時の仲間や同僚とも、一時はもう二度と会うことはないのだろうとさえ思いました。
それでも、こうしてたまに交差をすると、私は確かにこれまでの43年の自分なりの人生を歩いてきたのだと思うのです。その先々で出会った人とは、今もどこかで糸が繋がっていて、交差する。面白いものだと思います。
キャリアはハシゴではありません。一度降りたら登り直しなんかじゃ全然ない。キャリアはもっと横に広くて、私が今乗るジャングルジムもこれからもきっと、どこか違うジャングルジムへも繋がって、また出会いが広がるかもしれません。
そう思えるとなお一層に、
これから始まる新しい挑戦を、視野を広くアンテナを高く、そうして走る道沿いではこれまでの人生で積み重ねてきたたくさんの道と交差することを楽しみながら、
もっと気軽に横へ縦へと踏み出すことを楽しんでいけば良いのだろうと改めて感じる機会です。
人生は、一つのことしかやっちゃいけないわけじゃないのだから👍もっと自由に、闊達に👍
そう気楽に楽しみ多くのことに挑戦して生きようとする母の背中が、きっといつか“今はまだ動かぬ息子”を動かす日もくるかもしれないと願いながら、自分らしく走っていこうと思います。
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