みなさんこんにちは✨
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
先日、ちょっと意外な連絡を受けました。私が時々当サイトの記事下にチラッと“書籍紹介”などと付けたりするのを、『実は楽しみにしている』と仰ってくださる方がおられることが分かりました😳
記事の最後の書籍紹介を実はいつも楽しみにしている者です。これからも紹介をお願いします。
書籍紹介って言っても、単に私が読んだ本の忘備録的な意味合いも兼ねて気楽に書いて来たものなのですが、なんとこれを密かに楽しみにしてくださっている方もいらっしゃるとは、私は思ってもみませんでした。でもありがたいことです、嬉しいです。
確かに書籍は日々無数のように発刊されつづけています。その全てを個人のアンテナでフォローしていくのは不可能ですから(←そんなに暇じゃないよね笑)、関心の近い人と情報を共有しあって手に取れたならとても効率が良いですね。
私も読書は割と好きで、主に移動中や寝る前に黙々と読んでいます。外出時には読みかけの本をバッグに1冊以上は入れているし、Kindleも一緒に持ち歩くことも多いです。
私もわりと読書家な方であるとは思うのですが、当サイトの周辺には私なんぞよりはるかに読書家の方もたくさんおられ、私もまたそのような方々から『これ読みました?』『これ良かったですよ』などと情報共有をいただきながら書籍を買い求めていることが実際です。
ネットワークってすごいなぁと、いつも感じるばかりです。私たちは所謂一つの“マイノリティ”でありますので、マイノリティは仲間や同じ境遇の人同士でどうつながっていくかが成長のための課題です。もしも当サイトがそのようなネットワークの一つとして機能できているとしたならば、私にとってもそれは大変喜ばしく感じるところです。
そんなわけで、これからも時々ですが書籍紹介欄も密やかに記録していこうと思います。私なりに『読んで良かったなー』と思う書籍を書いています。『なんか違った…』みたいな書籍は書いてませんが、そんなものに興味があればそれは個別にお尋ねください🤣
そしてさらなるネットワークの繁栄のため、どうか皆様もお気軽に、私にも書籍を紹介してやっていただけましたら嬉しいです🙏
さて、今日はこちらの書籍を読んで感じたことを簡単に、記録しようと思います。半年ほど前に出版された書籍です。私もようやく最近読みました。
高学歴難民の“難民”って、印象的ではありますね。高学歴難民という言葉について、書籍の中ではこのような説明がなされています。
学歴はあるけれど、学歴に見合った社会的地位を得ることに失敗した高学歴難民
ありすぎる学歴はむしろ成功を遠ざけるのか?女の子の高学歴者は結婚相手が見つかりづらいと昭和の時代には言われたようだが、そういう話ではありません。
居場所がない、居場所を持つ機会を逃した、そうして居場所を求めて彷徨っている高学歴者を指して“難民”と表現し、その人生や難民生活を支える家族の苦悩などが実例として提示されて書き表わされておりました。
もちろん高い学歴を基盤として成功したり信頼を得ている方も世の中にはたくさんおられて、そちらの方がずっと多数なのだろうとは思われます。しかしこちらの書籍のように“そうでない人”に焦点を当てた類似の書籍は他にもたくさん出ています(↓)。
“高学歴”ってなんなんだろう?と思わされますね。
かくいう私も、旧帝大と言われる国立大に進学し博士号まで取得していますので、私は十分この書籍でいう“高学歴”の部類となる人種です。
さらに私は長く大学教員として務めており、学歴が高い色々な学生・大人を見て来ています。そんな私がこの”高学歴難民”という書籍を読んで、とにかく強く感じたことはこの一点に尽きました。
怖かった、恐ろしすぎる話であった…😨
こちらの書籍は、(表現が適切ではないかもしれませんが)高学歴者にしか真に共感し得ない恐怖が溢れていることを感じました。
そう、私はものすごく怖かった。
大学院ではあまりに身近にそんな話が溢れていました、決して他人事ではないのです。辞める勇気、撤退の勇気を持っていれば彼ら彼女らもいくぶん違ったかもしれないのだけど、辞めない退けない謎の空気が大学院にはあったりするし、そうしてそのまま流されていきただただ年齢を重ねてしまう恐ろしさ。そのような高学歴者が難民化しているという書籍ですが、私は本当にゾッとするほどそのような人をたくさん見て来たと思います。
あれ、そういえば私自身も博士号を持ちながら今や大型ドライバーの仕事をしてたりするし、もしかして難民認定さされるかも?🤔まぁ私は私で目的を持ってやっているので、自分なりに居場所は得ていて満足してはいるのですがどうでしょう😅(↓)。
書籍に話に戻ります。この書籍からも読み取れますが、難民化の取り返せなくなる分岐点は大学院への進学です。これは本当にそうだと思う。
私自身は24歳の時に『博士課程へ進学して博士号を取得する』ことを決めたのですが、それは本当に悩みに悩んでの決断でした。当時の私は、すでに難民化している(しつつある)先輩たちを目の当たりにし見ていたのです。そうして私は生半可に博士課程へ進学してはいけないのだと察知したし、自分の進路を本当にこれでいいのかと深く深く悩みました。当時の私の感覚は、
確実な“勝算”を持たなければ、これ以上を進んではならない
という危機感に他ならなかったと感じます。
同級生は社会に出て給料をもらい自立する中、私はさらなる学費を支払い数年間を費やして、一体何を得ようとしているのかと悩んだのです。
逡巡の中、私はたまたま我が国の優れた若手研究者として日本学術振興会の特別研究員に選出されることとなりました。また、当時私が取り組んでいた研究テーマも成果基盤が出来つつある状況でした。私はこれらを自分なりの勝算として、えいやっ!と清水の舞台から飛び降りるつもりで博士課程に舵を切ったのです。
それでも悩みが晴れたわけではありません。先輩にもよく助言として言われていた、
博士号は、最低でも二塁打を打って塁に出ろ。バントヒットでは絶対にあと(キャリア)が続かない。
このような言葉もまた、真実だったと思います。
そもそも資源のない我が国は高度な専門性を有する人を活かすことにより注力すべきと思うのだけど、我が国ではなぜかシステムがうまく回っておらずそのような人を活かしきることができていないことが問題なのです。20代前半の若者が高学歴化しようとするのに、えいやっ!って言うほど勇気を出さねばならない現状や、難民化も自己責任とする風潮もまたどうなのかしらと感じるもので、これについては本当に変化を期待したい部分です。
ちょっと話がそれました。難民化の分岐点は大学院への進学というくだりでした。
すなわち、危機感を持たないままの大学院進学、もしくは就職活動をしそびれたなどのモラトリアム期間としての進学こそが難民化の始まりとなり得ると読み取れる書籍の記述に、なんとも何度も深く頷くばかりでした。そうなの、時間は減るだけなの、時間は気持ちを癒してくれるけれどもキャリアには全くなりません。
後者の場合そもそもさ、「就職活動しそびれた」って(事情がある場合を除いて)やや思慮が浅いのではないかと思ってしまう。そういうケースの場合には、高学歴だから、高学歴なのにというよりずっと前に、もともと社会に適合しにくい人が勉学に励んでしまい高学歴になってしまったという側面も含まれているのであろうと感じました。
基盤としての人間性、人との繋がり、年齢相応の経験を積み重ねることが大切であると痛感します。
今の時代、学歴の高低に関わらず難民化は決して他人事ではありません。この書籍は多くの事例に目を通し、『このような人たちもいる』ことを知ることに意義があるとして読んでみてはいかがでしょうか。
子供に“学歴”を持つことを望む親は、どうか全員が一度は目を通すと良いと思いました。
特に、私たちのような、学力高めの発達障害児の保護者は必ず、です…。
ーーー書籍紹介ーーー
↑:絵本です。娘にと勧めていただき、娘と一緒に読みました。女の子のポケットに、靴に、知らないうちに石を詰めて女の子の跳躍力を妨げようとする魔物の存在が描かれます。男女の賃金格差、機会格差は令和の今なお社会課題として言われることです。女の子に限らず、そういうものの存在に違和感を感じていく素養がこれから育つ子供たちに求められると思います。
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