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当事者研究が面白い

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発達凹凸特性と多様性

みなさんこんにちは✨

今日で東日本大震災から11年を迎えます。私も午後2時46分には、黙祷をしたいと思います。本当に大変な災害でしたね。

さて、おかげさまで我が家は新型コロナウイルス感染症から回復し、今週から無事に日常復帰を果たしております( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )੭⁾⁾

いやぁ、伏せっていたとは言えこの10日間の非日常期間においては、やはり息子の感情の起伏については色々なことが起こりました😩

だけどね、この健康観察期間が明けたらと私には楽しみにしていた予定があって、それが実現できたことはとても嬉しいことでした😊それは、いつも当サイトを読んでくださる方のお一人と、初めてお会いできたこと😊

都心の主要駅でお茶を飲み、息子の特性について議論が弾む私とKさん

今回、Kさんと直接お会いしたのは初めてでした。だけどこれまでメールやLINEを通してたくさんお話を重ねてきておりましたので、お互いに全く“初めまして感”はありませんでした。都内にお住まいの方とはこのように会って交流も持ちやすいですね。短い時間でしたが、とても楽しくお話しさせていただきました。

あいrがとうございます!

私とKさんの息子たち(以下、ムスコーズ)には、驚くほどに似た性質があるようなのです。日々様々なことを考え抱えて過ごしている親同士が子供の特性を議論し、出来事の解釈や理解についてを話し合うことはとても前向きで良い手段💕日々家庭内では本当に色々なことが起こりますが、それらは決して抱え込まずに、せめても自分の身の回りの社会で共有しながら対応に当たろうとする姿勢は重要ですね。リソースは多いに越したことはないのです。

私たちは、ムスコーズの素晴らしい将来展望を想像しているという同志です。どうか、どうか幸せな人生を歩んでほしいの。今回は根底にあるそんな強い想いを共有し合えた、とても気づきの多い充実した時間でした。Kさん、ありがとうございます、またこのような機会をいただけましたら嬉しいです😊✨

あ、そんな“ムスコーズ会談”に参加されたい方がいらっしゃいましたら、いつでも声をかけてみて下さいね。コメント欄やLINEメールなどからコミュニケーションはいつも歓迎しております。もちろんお嬢様に関するムスメーズ談義(笑)も歓迎です👍

前置きが長くなりましたが、今日は、私が最近面白いなと思っている『当事者研究』について記録しておこうと思います。

当事者研究の要であるのは“公開性”

苦労は密室でするのでなく、私たちの特性の有意味性を議論することで発見し、それを共有することにより社会環境の変化を惹起しようとする考え方に、私は強く共感します。

自閉スペクトラム症の当事者研究は現在、東京大学において熊谷晋一郎博士により進められています。HPや書籍等から情報が得られますので、ご興味がある方はお目通しいただくと良いかもです。私も数冊読みました👍

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わたし
わたし

私たちは皆、何かしらの当事者です。自分ごととして捉え、当事者の言葉で発信することには社会環境に変化を促す強い力があるのだろうと感じます。

当事者による、当事者研究

全ての人が、何かしらの当事者である

“当事者研究”って、聞いたことはありますでしょうか。

実は私は初めて聞いた言葉でした。最近機会があって、詳しい方からお話を伺い文献や書籍を紹介していただいたことがきっかけで知ったばかりという状況です。それから、私は何冊かの書籍を読みました。

まず、『研究』と名がついておりますが、堅苦しいものではなさそうです。

〈当事者〉という言葉については、書籍の中でこのような説明がなされています。

進路や人間関係、経済状況や健康など、障害のあるなしにかかわらず、誰でも生きていればたくさんの苦労に直面する。苦労に直面し、そのことを自覚している人を、ここでは広く、その苦労の当事者と呼ぶことにしよう。

「当事者研究」第1章 当事者研究の誕生より

私たちは、障害のあるなしに関わらず皆、常に何かの当事者であると言えるでしょう。

次に、“当事者”となった時、私たちはどうするでしょうか。

ふた昔程前なら、図書館に行くでしょうか。今であれば真っ先にインターネットで検索しますね。それにより私たちは自分が直面している苦労と類似した苦労を経験した先人たちの知恵と対処を参考にしようとするでしょう。もしくは家族や友人、同僚などで向き合ってくれそうだと思われる適した人選をして相談を試みるかもしれません。

苦労を出発点に、他者に向けてそれを表現し、選考事例を調べ、分かち合い、解釈や対処法をともに考えるーーこの一連の過程こそが、当事者研究である。

当事者研究は新しい何かではない。大学や研究機関の中ではなく、ふだんの日常の中で常に私たちが行っているものである。

「当事者研究」第1章 当事者研究の誕生より
そっか。当事者研究って、とても身近なものだ。

すなわち自分の困りごとを自ら考察し、言葉と行動に表すことが当事者研究の本態です。

当サイトを読んでくださる方の中には、まさにご自身の“当事者研究”の成果によって当サイトを見つけてくださった方もいらっしゃるかもしれません。そして私が当サイトで実践しようとしていることそれ自体も当事者研究と言えるわけです。

とても身近なもののように感じるけれど、これを専門家集団がプロジェクトとして取り組むとどうなるのかという点が興味深いと感じます。

公開することで、個人の経験は人類の知見へと昇華する

当事者研究で要となるのは“公開性”です。

言葉と行動をもって、他者に伝えてこそ当事者研究はさらに大きな価値を生むのです。それは個人の経験を人類の知見へと引き上げる、とても大事なステップです。その公開の手段をどうやって得るかが一番の課題かもしれません。

苦労は密室でしていてはいけません。

かつて、社会が吸収困難な個人の苦労は“病理”とみなされ、当事者に対して一方的なレッテルを貼りつけることで病院などの特殊な施設でのみ閉鎖的に取り扱われることが行われました。すなわち、見えないところの個人の苦労は無かったことにされがちでした。

例えばここでは発達障害を取り上げますが、発達障害を抱える人は今も昔も変わらぬ割合で存在します。かつて彼ら/彼女らは『変わった人、難しい人』というレッテルを貼られ、社会との違和感が蓄積するままに二次障害に陥ることや排除の対象にもなったのかもしれません。思えば私の父親もまた、かつての時代にまさにそんな人生を送った人なのかもしれないなぁと思っています。

事実、私自身も父のことは理解できず、私が大人になった時に物理的にも精神的にも『離れる』という選択を取りました。だけどふと、父はどうしているのだろうと考えることも稀にあります。70歳に近いはずです。今もどこかで友人も家族も仕事もお金もない状況で生きているのかもしれないなぁと、そして同時に、私は息子には絶対にそんな人生を送らせない!と強く思えてくるのです。

そのために私は何が出来るか。あの時代に地方で生きてきた父のような人の苦労は、どのように対処されれば良かったのだろう。

そう考えると、密室で苦労をするだけでは、社会との関わりをうまく保てなかったのは単に当事者の個人的な能力の問題であると帰結されてしまいがちなことが問題であったと思えてきます。

だけど実際はそうじゃないよね。誰だって苦労に直面するし、先天的にまたは後天的にもいつ事故に遭い不自由になるかもしれないし、老いるのです。それを皆、個人の能力の問題としてただ取り除くべき対象とされてしまうのではあまりに乱暴であるし、誰も幸せになりません。私の父も、頭の良い人ではあったし、決して能力的に劣る人ではなかったのです。

これから先で大切なことは、個人の抱える苦労は個人の能力的な問題ではなく、社会との関係性保持に関する問題なのだと焦点を置き換えていくことです。

この挿絵がわかりやすい(引用「当事者研究」第4章 発見より)

だから、苦労は密室でしていてはいけない。

だから、声を上げて公開し、宣言することが重要なのだと、それが“当事者研究”の目指す姿なのだろうと思います。そんな明確な意志が、私はとても興味深いと感じました。

大学でなされる、専門家による当事者研究はレベルが違う

専門家による多面的な解析とアウトプット

なんだか徒然と思うままに書いてきてしまいましたが、“当事者研究”というものがどんなものかは、ちょっとは伝わりましたでしょうか。上手に伝わらなければすみません💦ご興味がある方は調べてみてくださいね。

広くは個人でもあたりまえに日常的にしている活動のことを指す一方で、東京大学を中心になされる専門家による当事者研究は、当たり前ですが、レベルが違いますよね😊

たくさんの専門家が取り組んでいる。心強い。

研究機関では、“その場で行われる当事者研究”と“膨大な先行研究”を統合し、脳科学的、情報学的な解析も組み合わせて仮説を導き検証されていくようです。すごいなぁ、面白そう!と思います。

しかし主観や客観、当事者の記憶と思い出と他者の観察像を分けて考えなければならないし、そもそも自閉スペクトラム症が単一の概念で説明できるものではありません。特性はそれぞれであることに加えてその表出も仕方もそれぞれですから、そこから社会モデルを立ててアウトプットを出していくのはそもそもが大変チャレンジングなことなのだろうと感じます。

だけどその領域に関わる当事者も専門家も、全ての人が当事者意識を持って不断に考え続けることが置き去りにされがちだった少数派の人を社会に取り込む鍵であるはず。とても心強いと感じました。

東京大学にて、参加者の募集もされています。

参加条件は、

1) DSM‒IV‒TR で広汎性発達障害、またはDSM-5でASDと診断され、告知を受けている方
2) 20歳以上の方

とのことです。

私は現時点で未診断ですのですぐに参加することは叶いませんが、いつか診断を受ける機会があれば一員として参加してみたい、自分自身にも学べることが多いと思うし、何より〈当事者〉としての自分を知りたいです。

それまでは、自分なりの当事者研究を続けていこうと思います。

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