みなさんこんにちは✨
今日はタイトルの件について、少しだけ触れておこうと思います。
そう、食事中のことなのですが、本当によく食べ物をこぼしてしまうのです。
え、誰がって?
ええ、それは私が、です。
今でこそ、私はこれも『私の特性、私の苦手』なのだろう受け入れるようになっています。だけど若い頃などには、気をつけているのにどうして食べ物が口に入らないのかが私は不思議で不思議でたまりませんでした。同時に、どうして他の人はそうでないのか、他の方はどんな特殊技術を持っているのかと私は他人を観察したり、深く悩むこともありました。
だけどこれもきっと、私の“左右盲”(↓)みたいなもので、私の性質なのだろうと思っています。ある程度は仕方がない、そう割り切りながら自分なりの対応策を取っていければいいのではないかと思っています。
今日はそんな私の経験と自分なりの対応策を記録したいと思います。似たような誰かと共感できたら嬉しいです。
なぜか食べ物が口に入らないことがある
周りも気づく、私の苦手
これは私自身も本当に不思議に思っていることなのですが、私は食事中に食べ物をこぼしてしまうことがよく起こります。
なぜでしょうか。
私だって、こぼそうと思ってこぼしているのではありません。私もそれなりに気をつけているつもりにも関わらず、なんだか上手くいきません。
そしてそれは周囲の人も気づく程度にしょっちゅう起こっているようで、例えば高校生の頃に友達数人と昼食のお弁当を食べていた時にはこんなことも言われていました。お話がはずみ、誰かがポロッと食べ物をこぼした際、
あ、Naomi病!😁気をつけられ〜😁(←富山弁)
ほんとやぜ〜、気をつけられ!😁(←お前がな、笑)
(↑注:よく知らん人にいきなりこう言われたら嫌かもですが、当時の私は友人との信頼関係を感じていたし嫌な気はしていませんでした!)
そんな“食べ物をこぼすこと”を私をよく知る人からは“Naomi病”とまで言われてしまうその事実。
それほど私は普段から食事中に食べ物をこぼすことが多い様子が伝えられる、そんなエピソードの一つだろうと思います。
夫にも、今もよく言われます。
お母さんは仕方がないよ。
あ、その服、胸元の染みが取れてないよ。今日は着ていかない方が良いよ。(←ナイス指摘!)
そうだよね〜、もはや『仕方ない』ことなのかもしれません。私だって努力はしたし、今も気をつけてはいるつもり。だけどそれでも、あまり上手くいきません。
なぜか食べ物が口に入らない
私が食べ物をよくこぼしてしまうのは、おそらくですが、お箸の持ち方が悪いとか、そもそも行儀が悪いとか、そういうことではないだろうと思っています。
私は子供の頃からずっと密かに、“周囲となんだかうまく行かない感”や“自分には人と同じ程度には出来ないことがある”ことをしっかり自覚しておりました。だからこそ、ある程度大きくなった私はせめても自分が行儀や教養の部分においては見劣ることのないようにと、つまりそういう“人から見て目につく外面の部分”だけでも失望だったりそれに似た印象を与えることのないように、行儀やマナーなどの振る舞いには自分でも自信を持っていられるようにと、意識的にそして徹底的に努力をしてきた自負があります。
だから私はお箸の持ち方は悪くない。食べ方自体がが汚いわけでもないし、姿勢もそれなりに良い方(←よく言われる👍小柄なので意識的に背筋を伸ばしています。)だろうと思っています。
だけど私が食べ物をこぼしてしまうというのはどういうことか。
それは、“なぜか食べ物が口に入ってこない”ことが多いという印象です。
たとえばそれは、具体的にはこんなふう(↓)。
ペットボトルのお水を飲もうと思ったのに、飲み口が口につく前にボトルを傾けすぎてしまって飲み物がダーーッと胸元にこぼれてしまう、とか。
お箸で食べ物を口元に運んでいるのに、なぜかその食べ物が口に入る前に自分の口を閉じてしまう、とか。
逆もあります。口に食べ物が入ったのに適したタイミングで口を閉じることができなくてポロッと吐き出してしまう、とか。
これもよくありますが、お箸で食べ物を口元に運んでいったつもりなのに、なぜかその食べ物が口ではなく、顔のちょっとズレた場所に衝突する、とか。(←これは特にスプーンで食べる時によく起こるかも🤔)
また、大皿に乗ったお料理を自分の取り皿に取り分けようとしている時に大皿と取り皿の距離感を見誤り、お料理が辿り着く前になぜかスプーンを傾けてしまってお料理をテーブルクロスの上に落としてしまう、とかもなぜか起こってしまうのです。
不注意か、それとも発達性協調運動障害か
これは、単なる不注意でしょうか?
私はこれは不注意とは違うと思っています。だって私はそれなりに意識をして気をつけているつもりです。だけど防ぎきれないことも多いのです。
面白いことに、ちょっとインターネット上を検索してみると、割とよく似たエピソードを持つ方の事例に行き当たります。
一つはよく知られている発達障害の一つ、“注意欠陥・多動性障害(ADHD)”の特性によるものかという意見もあるようです。ですが、私の場合はこれには当てはまらないと自分では一応思っていますが、どうでしょう?🤔
また、もう一つは、“発達性協調運動障害(DCD:Developmental Coordination Disorder)”という言葉です。これも発達障害の表現型の一つです。
発達性協調運動障害は、麻痺などの障害がなく身体機能が健常であるにもかかわらず、運動を組み合わせることがとても苦手な障害とのことです(↓インターネット上に様々な情報がありますので、思い当たる方は調べてみてくださいね)。
- 縄跳びが苦手→腕は回す、足は飛ぶというバラバラの動きを協調させることが難しい
- ピアノ演奏が苦手→右手と左手で違うリズムを叩くことを協調させることが難しい
そういうことらしいです。そしてそれらはどうやら“努力”の問題ではないというのがこの発達性協調運動障害というものです。
この障害の特徴は、運動が著しく苦手でだったり、人並み外れて不器用だったりすることと解説されておりますが、だけど私の場合はこれも完全には当てはまらないだろうと思います。
私は運動もスポーツも人並み程度には上手に出来ると思っているし、特段に不器用な方でもありません。むしろ細かい作業は割と得意な方で、いくつかのことを同時並行で進めるマルチタスクもよく出来る。実際に私の心理検査でも私は“ワーキングメモリ (WMI)”と“処理速度 (PSI)”が極めて高い値(99パーセンタイル)であり、お世話になっている臨床心理士の方にも、
お母さんは耳から聞いたことをマルチタスクでパパッとこなせる人です
と言われたことは、自分の感覚にもよく合致していると感じました(↓)。
私は考え込んでおりました。
それでは私の食事時の苦手は一体、何に由来するというのだろうか。
そこでふと、思い至ったことがありました。
私はもしかしたら、タスクの中に“空間認識”というキーワードが入ってくるとかなり弱いかもしれません。
私は空間把握に弱いかもしれない
食事は、食べ物を取り、口まで運ぶ。だけど自分の口は自分では視認できませんよね。
つまり食事中は、自分では視えない口の位置を立体空間的な想像の上で把握して、そうして認識された空間上の自分の口に向かって食べ物を運ぶ必要があるのです。
たぶん私は、この空間認識に大いに弱い。
もちろん私もそれだけの作業であれば、一点集中して執り行うことで失敗なく遂行できるとは思います。
しかし食事中はやることが実は結構たくさんあるのです。次にどれをどの順番で食べるのかを考えることや、特に私は姿勢やお箸の持ち方にも過分に気を張り、子供達が一緒であれば気を配り、さらに一緒に食事をしている家族や友人たちが一緒であれば、その会話にもかなりエネルギーを割いていると思います。しかもその間にももぐもぐしたり飲み込んだりの作業は常にバックグラウンドで進行中。
そうした食事中の多様なタスクに気を取られ、そうして私はふとした時にそもそも苦手な空間認識を見誤る、それが私が食べ物をこぼすことの実態ではないか、そう考えると非常に合点がいくようです。
そういえば。
私は普通に歩いているつもりなのに、体の一部をあちこちにぶつけることが度々あります。片付けの悪い状態の自宅のリビングや、狭いお店とかでもよくあります。夫にも、しょっちゅうこう言われています。
お母さんは(体の)車幅の認識が甘いんだよ、笑
これは若い頃は痩せていたのが今は太っているから(←…お恥ずかしながら体重は若い頃と比べると激増してる、って、みんなそうだよね?😅と、年齢のせいにする)とか、そういう問題でもなさそうです🤣たぶんこれも、空間認識が私はかなり苦手であると、そういうことかもしれません。
私自身も、気をつけているつもりなのです。
私は自分が上手くできないこともそうですが、他の人がなんでもないことをどうしてこうも出来ないのかを目の当たりにするとショックを受けます。
北海道から東京に引っ越してくる時、大学生から大学院生の時期にお世話になり、私がお嬢様の家庭教師も務めさせていただいていたほど良くしてくださった教授の先生が『送別会をしよう』と言ってくださり、私と当時5歳だった息子をとても素敵なレストランに招待していただいたことがありました。
札幌市内でも有名な中華料理のレストランでした。お部屋も素敵でお料理もすごく美味しくって、息子も喜び会話も弾んで、とても楽しい時間になりました🤗
だけどふと、私の席と中央の回転テーブルの間はたくさんのお料理の取りこぼしが落ちている現状に気がついて、私はショックを受けました。『やってしまった!😰』と、私は慌ててお皿や調味料でテーブルクロスの汚れをさりげなく(?)ソソッと隠そうとしましたが、ご招待して下った教授も、お嬢様も、そうはなってはいないことがまた私にショックを与えました。さらに悪いことに、ふと気づいて下を向けば、着ていった私のドレスの胸元にも食べこぼしがありいくつかの染みがありました。お二人ともそれで何か仰るような方でもありませんが、私はこんな自分と他者の違いが不思議で不思議でなりませんでした。
自分なりに気をつけていること
私はよく食べ物をこぼしてしまいます。
そしてそれにはどうやら要因があって、
- 注意欠陥・多動性障害(ADHD)の特性(←たぶんこれは私には当てはまらないとは思っていますがどうでしょう?)
- 発達性協調運動障害(DCD)の特性(←完全には当てはまらないが、一部は当てはまると思う)
- 空間把握、空間認識能力の弱さ
これらが重なりあって、すなわちこれは起こるべくして起こっている現象であると理解したいと思います。
それでも私はできるだけ食べ物をこぼしたくないと思っているし、それを恥ずかしいと思う気持ちも大いにありますので自分なりには気をつけるようにしています。
一つは、食事中の姿勢の保持は正しくする
何事も、姿勢が大事だと思っています。スポーツにも基礎となる“正しいフォーム”があるように、姿勢が悪いと何事も上手くいきません。背筋は伸ばす、椅子とテーブルの距離は適切に、周囲に倒しやすいものや気が逸らされるものを配置しない。着席時には、この調整は絶対にしなければなりません。
出来るだけ食事に集中するように意識する
その食事に、神経を研ぎ澄ませて意識を集中させるようにしたいです。
何気ない動作をしているかもしれません。だけどその時の私の脳内では、こんなことが行われています。
(はい、いまお箸で取った。これをゆっくり確実に口に入れる、口はどこだ、ここだ、いけ、慎重に慎重に…よし入った、OK、次も上手くやってみよう、よーし落ち着いてまずは箸で取るところから…)
まるで“指差し確認”です。目の前のことを実況中継さながらです。脳内で『今私はどこに着目するべきか』を綿密にシミュレーションし自分の意識を漏らさないようにしています。
だけどこれは一緒に食事をする“相手”がいる場合には少し難しくなってしまうことが実際です。無愛想になったり受け答えや話題の展開への意識が疎かになることや、言ってはいけないような失言をする方が深刻であると私は思っておりますので、相手がいる場合にはこれの優先度は下がります。
衣類の素材と柄に気をつける
次に、これは冗談のような本当の話なのですが、私は食べ物をこぼした瞬間にその後の予定を変更して帰宅しなければならなくなるような衣類は普段から着ていません🤣
本当は白い衣類は好きだし何枚かは持っていますが、あらかじめ外で食事をすることが予定に入っている日は白い服は選びません。
私の経験上では、黒い服も結構ですが、黒の無地は油汚れが余計に目立つこともあるので要注意とも言えますね。そう、黒ければ良いってもんじゃないのです。黒い服の胸元のシミは案外目立つような気がします。
そんな私が普段着としてよく着ているのは、こんな服だったりします(↓)🤣
ザブザブ洗える素材であること、油汚れも目立たない生地な上に多少のシミも目立たない柄であること👍これは私のクローゼットの中ではかなり長く生き残っているトップスでして、同じようなものをもう何枚か欲しいとさえも思っています🤣ちなみにこれは、つい先日に当サイト介して知り合ったKさんと赤坂へ四川料理を食べに行った際にも着ておりました😎あの麻婆豆腐は美味しかった、子供連れでは行けない味です。また行きたい!✨
加えて、衣類選びの応用としては、ジャケットやカーディガンを普段から羽織っておき、もしもこぼした場合には前ボタンを閉じることで対応するのもおすすめです。『やっちまった!』と思っても、さも初めから『前ボタンはきちんと上までしめる派なのですよー♪』という顔をしておけば“何もなかったこと”にしてしまえます👍私が外出時に薄いジャケットを羽織っていることが多いのは、そういう意味合いもあるのです。
こぼす前提でメニューを選ぶ
あとはこれも大事な視点だと思います。こぼしてしまっても最悪の事態に至らないメニューを選ぶのです。ミートソースよりはペペロンチーノ、カレーうどんよりはたぬき蕎麦、エビのチリソースよりは焼き魚定食、みたいな感じですね。『気分と服装』はどちらの方が重いのか🤔なかなかの天秤になりますね。どうしてもミートソース!今日はミートソースが絶対食べたい!というほどの状況であれば食べたいものを優先することにはなるでしょうが、その際にはそれ用の服装をしていくか、ハンカチなどを使って上手にガードして食べるしかありません。
これには同志もいるようです。
私は最近お仕事体験としてのアルバイトをするようにしており(↓)、先日は近所のイタリアンレストランでランチタイムのホールスタッフをしておりました。
その際、ボロネーゼのランチセットを注文された男性の方に呼び止められて、
先ほどランチセットでボロネーゼを注文したのですが、カルボナーラに変えられますか?今日は買ったばかりの白い服を着ていることを忘れていました、お手間をかけてすみません。
そう言われた時には、この方は同志かもしれない、さすが対策を取っておられるのだなと私は感銘を受けました。そのお客様が丁寧な物腰で静かにそう仰る様子はとても知的で素敵でした。
“食べ物をこぼしやすい人”であったとしても、決してその人の人間性が至らないのでも、だらしないのでもありません。
世の中には本当に色々な人がおられます。体格や容姿が似ている人は居ても全く同じ人は存在しないことと同じで、得意不得意もその特性も人はみな様々であることは当然なのです。
その中で、自分がどういう人間なのかをよく知り、考え、対策を立てる。その行動は全て前向きであり、知性と気品さえ感じられる素晴らしい行いだと評価したいと思います。
この記事が食べ物をこぼしやすいと気にしている方に届くこともあるでしょう。私のこのような体験が、誰かの共感や参考になりましたら幸いです😊
コメント