みなさんこんにちは。
今日も当サイトへお越しくださり、ありがとうございます。
学齢期の我が子を預ける“学校”を探し出し、そして1つを選ぶことは、とても難しいものであることを感じます。
私には、高IQかつ繊細で、過剰に過敏な息子がおり、今はその進学先となる学校選びが佳境です。
環境に恵まれていることもあるでしょう。
例えば私自身が子供の頃に過ごしたような地方都市では、加えて時代柄もありますが、高校選びは当人のある程度の学力を鑑みれば『ココかココ』と、ある程度は勝手に絞り込まれたものでした。もしくはスポーツや部活動から選ぶという視点もありますが、それでもあの時代の地方都市ではやっぱり『ココかココかココだよね』と絞り込めたのかもしれません。
しかし今、私たちが住まう都市部(東京都の都心に近いところに住んでいます)では、高等学校は比喩ではあるが本当に“星の数ほど”存在します。さらに言えば日本中から、そして度胸と学資が備わるならば、それはまさに世界中から選ぶことだって可能な時代が今であり、選択肢に恵まれすぎていることはあるでしょう。
ザッと近所を見ただけでも、公立高校、私立高校のみならず、通信制や定時制、新しい枠組みとなるチャレンジスクールと呼ばれる学校だって存在するし、この少子化の時代に学校は増えている。都市部では、高等学校はまさに“星の数ほど”の選択肢。

しかしながら、息子は不登校の期間が長いので、高等教育へのアクセスは、すんなりとはいかないことが容易に予想されています。情報戦になるでしょう。
進学するのは本人だけど、親もまた、せめても情報収集くらいには参戦せざるをえないわけ。そんなわけで私もまた、本当に少しずつではありますが、色々な学校を見にいきながら、肌感覚を磨いているところです。
そんな私が、ここ最近に色々な学校を見るにおいて、ちょっと感じたことがありました。
私の視点は独特であり独創的だと思います。他の方にはあまり参考にならないのかもしれませんが、私自身の忘備録も兼ね、こういう感想を持つ人もいるよねという程度において、その雑感を記録したいと思います。
この春のことでした。本当に、ひょんなことから私自身の経歴の一つに“高校教諭”が加わることになりました。
私は高校教諭は未経験でしたが、その話を受けた時には少なからぬ興味を惹かれたことが実際です。
私は興味津々でした。
今の高校生って、どんな子供達なんだろう?
今の高校の先生方って、どんな人がいるんだろう?
そんな好奇心から受けた誘いではありますが、これがなかなか楽しくて、教諭は意外と私の天職の一つなのかもしれないなとさえ感じるほどに学びが多く、楽しくそして賑やかに勤めさせていただいているところです。同時に私は通信制の高校からもお声をいただき、かけもちで非常勤教諭を務めています。教職の輪が広がっていることを感じています。
私は保護者の立場で、息子の進路探しに色々な高校を見にいくことも、学校説明会に参加をすることもしております。そして同時に、今の私だからできることは、「理系の博士号」+「高校教諭の経歴」を活かして私は実は密かに、求人の募集などを入り口として「そこで働く人たち向けの説明会」にも参加するなどしてみたり。

つまり、ある高校の保護者向けの説明会を聞いた後に、教員向けの説明会を聞いたりするわけです。これがなかなか面白かったり、考えさせられるものがあったりするので、恐ろしいものだと感じています。
そんな潜入捜査?からは、見えるものも違ってきます。
まぁもう済んだ話なので、学校名を挙げずに感想を述べれば、少し前に見に行った通信制高校が非常に衝撃的でした。
そちらは不登校経験のある子の受け入れもするということで、保護者向けの説明会では、割と手厚くサポートをいただけることを聞いていました。個別相談で先生がいうには大学進学も目指せるらしい。良さそうや。
しかしながらその一方で、教員向けの説明会では、その話とは大きな乖離、大きな違和感を感じてしまった、そんな学校もありました。
端的に言えば、『なんなのこれは?なぜこんな場所が平然と、「学校」という看板を掲げているの!?😱』と、私は衝撃を隠せません。(あくまで私個人の感想です)。

そう、“星の数”ほどある学校は運営形態も千差万別、仕組みも独自のものであるし、決まった基準がないのでそれはそうなるのかもしれません。ましてや私立の学校は商売で運営されています。当然と言えば当然なのかもしれませんが、
通信制の高校は、費用も高額な傾向があるのだけれど、
この学費を取って、この教師の質、そしてこの指導内容か…と思ってしまった、そんなこともありました。
不登校の親は弱っています。学校と縁遠いために情報量が少なくて、営業トークに流されてしまうケースもあるのだろうとも思いました。外からだけ見ていては見えないものがあることを、私は深く学んだような気がしています。
学校選びは難しい。本当に。
繊細そして過敏すぎる我が子がどんな環境に身を置けば健やかに過ごせるかが、なかなか見えてきていません。
だけどそれでも、諦めずに少しずつでも探す足を止めなければ、『ここだ』という肌感覚が発動する学校にいつかきっと出会えることを信じていくしかありません。
その出会いとは、場面緘黙症とともに育つ我が家の娘が健やかに過ごせる温かな校風の学校に巡り合った時のような奇跡です。
きっとどこかに息子の居場所もあるのだろう。あるはずだ、あってほしい。どうか。
それは果たして学校なのか、人なのか。“それ”が何かはわからないし、今はまだ見つからないけど、いつかきっと出会えるはずだと願うほかはありません。
親は無力なものなのです。私には、何もできることはありません。せめても親は情報収集アンテナだけはいつでもピンと張っておくしかないのだろうと思います。
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