みなさんこんにちは✨
おかげさまで今月には私の愛娘も6年間通った保育園を卒園し、4月からは第一志望として受験をさせていただいた私立小学校へ就学する運びとなりました。お祝いや労いのお言葉をいただきました皆様、本当にありがとうございます😭
場面緘黙症という障害を持ちながら、どうか娘が少しでも過ごしやすい環境を求めてと小学校受験を経験した私と娘のエピソードは、もうそれだけで書籍が丸一冊は書けそうなほどに色々なことがありました。
場面緘黙は、母親である私自身も経験をした障害です。私は困難を持つ娘に無理をさせたいわけではありません。それでも私は娘の母親として、そしてかつて同じ困難を経験したことのある当事者として、私は当時の自分が得られなかったあらゆる支援を娘に与えたいと願ってきました。成長の糧となって欲しい、ただその一心で走り抜けてきた、そんな小学校受験でした。
私も、たくさん考えました。
娘はどのような環境であれば、健やかに安心して過ごすことができるだろう。
私たち親が子供に残してやれるものというのは、そう多くないことが実際です。子供は自力で未来を切り拓かねばなりません。だから私には娘が娘らしく過ごせる環境を精一杯に考えてやることくらいしかできないけれど、せめてもそれを今の私の全力でしてやりたいと思ったのです。
そうして昨春頃から私たちは娘の成長を想像しながら東京都内を中心にたくさんの学校を見て周り、信頼する方からの勧めを受けたり、最終的には親の肌感覚とでもいうのでしょうか、
『あぁ、こちらの学校の学舎で、健やかに育った娘が笑顔で過ごす日常がありありとも目に浮かぶ』
そんな直感を得て出会った穏やかで温かな校風の私立小学校へ、せめて受験だけでもさせてもらおう、どうかこの経験が娘の人生の糧になれと、勇気を持って踏み出しました。
とはいえ、場面緘黙症はコミュニケーションの困難です。小学校受験には多くの学校で面接試験が課せられます。
まだ6歳の娘が家庭の外で、初めての場所で、初めて会う先生とお話しするのはどう考えても難しいだろうということは私も重々分かっていました。それはかつて同じ困難を有した私自身にも、到底できなかったことなのです。“普通”のお子さんには何でもないそんなことが娘にとってはどれほどのことか、どれほどの勇気を要するのかを私は痛いほど分かっていて、それを娘に強いることはできませんでした。
私たちの小学校受験は「合格」を目指すものとせず、ほんの成長過程の1つのステップ、この年齢でしか経験できない貴重な機会の一つに過ぎないものと捉えることにし、絶対に娘に無理をさせないことを第一の目標に据えました。(←それでも全費用をすんなり支払った夫は大したものだと思います👏)
私の目には、娘は“良いお手本”が示されればとても上手に真似が出来る子供でした。まずは「頭で理解をすること」からこそ彼女の行動が変わることを私はこれまでも感じていました。少しでもたくさんの手本に触れる機会になれば良い、それらが娘の自信の礎になるかもしれないと、私はそう考えました。
そうして過ぎた受験が素敵な思い出になるように、親の態度次第だろう、良い思い出に私がなんとしてもしてみせる。
もちろんそれと並行し、地域の公立小学校への入学準備も滞りのないよう進めました。地域の小学校に就学したらどのような支援が受けられるのかを相談し、就学相談も早めに受けて教育委員会との対話も重ねてきていましたが、親の思いに反して就学相談の判定では公立小学校では特段の支援を受けられないことが既に決まっていました。
無支援での公立小学校への就学にはやや不安も感じていました。だけど仕方がありません。
無事に行って帰ってきたら、それだけでもう100点満点!どんな学校か見てこようね✨
そう、いつでもあなたは100点満点!
そんな言葉を我が家は受験の合言葉とし、だけどやっぱり参加した模試も模擬面接も練習受験も、娘は無言と無表情で通すことが毎回でした。まるで視界を閉じたように、何も見えない、何も感じないと言わんかのように振る舞う娘。
親はそんな娘の様子も想定内でも、対応くださった先生方がかえって大いに戸惑われていて、その点は毎度本当に恐縮でした。だけどそれも互いに勉強になったはずです。世の中には色々な子がいるという事実を私立小学校の先生方にも知ってもらえたと捉えました👍娘には、どんなあなたも私の自慢の娘だから大丈夫だと伝えました。
そんな中、『ご縁って、本当にあるのかもしれない』と感じたことがありました。
先述の、親の肌感覚からどうか受験だけでもと願い、第一志望として挑戦させていただいていた私立小学校の面接試験。
今回もまた何も言わずに終わるかな?行って来れたら100点満点、良い思い出になれば150点だよね。だけど親は堂々と、自信を持って振る舞おうと夫としっかり打ち合わせをして入校していた試験でした。
この日も私は娘が一言も発さずに帰ることを前提にもし十分覚悟をしていました。たとえ娘が何も言えなくても、それでもこの子は私たちの宝物で、大切な大切な娘であると親が態度で示せればいいやという思いでした。
だけど、この日の娘は確かに声は小さかったのだけど、先生方の目を見ることも、問われた質問に対してぽつりぽつりと答え始めることもできました。
受け答えも娘らしい丁寧さ、
娘らしい個性も見えるユーモアもあり、
課題に対して1人で前に進み出ることも、
体の動きに固さも見られず、
そんな娘の振る舞いには親である私さえも大いに驚かされたくらいです。
後で娘が言うことには、面接官だった先生が面接前にかけてくださった“ふとした一言”が『すごく安心できた』のだということでした。話さない娘が安心を感じて自然と話せてしまう学校に私たちは奇跡のように出会ったのだと感じました。
帰宅して、この日の夜。
娘は自分の状態をこんなふうに話しました。
わたしの喉には扉があるの。声がそこから出ていかない。
だけど今日はね、喉の扉が『パカッ!』て開いたのが、なんだかわかる気がしてきたの。わたし、もうお名前とお返事はどこでも言えると思うんだよね。
この時私は『環境』というものの存在感を改めて感じたと思いました。能力というのは人に宿るものと思われますが、環境に宿るものであるとも感じました。
こちらの学校では娘の力が引き出され得る、何か相性のようなものがあったのかな?と、うまく言い表すことはできませんが娘に喉が開く感覚を体験をさせてくださった小学校には受験させていただいただけでもう十分すぎるほどの機会をいただいたのだと、私はもうこの上ない深い感謝を感じていました。
その学校へ、娘は就学することになりました。
合格の通知を受けた時、娘はしばらく黙ったままで、それからそっと言いました。
…ねえお母さん。この学校の先生はわたしの素敵なところを見てくださったから、だから合格をくれたのかもしれないね。
本当にそうだよ。あなたはとっても素敵な子なの。あなたの兄ちゃんもなかなかだけどおんなじくらい、世界で一番素敵だよ!!
感謝するほかありません😭娘に喉が開く体験を与えてくださったのみならず、合格通知までいただけるとは。娘の心からの言葉もまた、私の胸に染み入るものがありました。我が家の小学校受験は、娘を大きく成長させてくださった、そんな機会となったことを私は確信しておりました。
“孟母三遷”という言葉があります。
娘はまだ孟子ではないけれど、これから彼女がどんなふうに自分の未来を切り拓くのかを見守りたいと思います。
就学先の小学校へは私たちの今の住まいからも通えないことはないのですが、娘の安全と通学の負担を考えて、私たちはこの春に少しでも通学の便が良い土地へと転居をすることに決めました。妹のためならと息子(←不登校だしどこへだって行ける、笑)も転居に快く賛同してくれました。
そんなわけで、ここしばらく私は多忙を極めております😅
娘の卒園準備のみならず、入学準備のための制服や学用品の用意をし、袋物のお裁縫、2月3月の講演や、今月からの新聞連載の準備も全て重なりました(↓)。
もちろんですね、昨秋から始めた大型ドライバーの仕事もあるし、毎日が分刻みのスケジュール。
週末には通学路の安全性を最優先に新しい住まいを探して契約、住宅ローン、今の住まいをどうするかなど考えることは次から次へと押し寄せます。さらにはこの2月末には、息子と一緒に公的資格を一つ受験して合格したりもしたのだから、私って大したものだと思うよね、えらいえらい、笑(←またいずれ記録します)。
それらも全て整いまして、もうすぐ私たちは転居をします。
リアル孟母三遷だ!!頑張りたいと思います!!
というわけで、しばらくこちらの新生活が落ち着きますまで、当サイトの更新はお休させていただきます🙏余裕が生まれてきた頃にまた、4月に入れば少し落ち着いているかしら?ポツッと更新を再開できる日を、どうかまたお待ちいただけましたら幸いです。
あ、LINEやメールはいつでもスマホで見ておりますので、世間話をしてくださる方は変わらず連絡をくださいね。
それでは皆様。
皆様の新年度も、どうか実り多きものでありますように。
前向きに晴れやかに、この春を健やかに過ごされますようにと願っています。
落ち着いたらまた、リアルお茶会などしましょうね✨美味しいものを食べにでもいきましょう✨
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