みなさんこんにちは✨
今日の話題は不登校です。昨年末頃、私は当サイトの記事においてこのようなことを書きました(↓)
我が家の息子はもう8ヶ月ほど不登校の状態が続いていますが、それがなんとも、今では親も本人も“今の生活”にはすっかり慣れて、そりゃ多少の波はありますけれど、とても快適に過ごしていると思います。
これはこれで良いですよ。朝は慌ただしく準備をさせたり『早く!』とかの声を常にかけ続ける必要もないですし(←息子は本当に段取りが組めない子なのです)。生活時間も変わりました。我が家の起床時間も朝食の時間も少しだけ後ろにずれました。
親も子供も、当たり前に落ち着いている。こういう我が家のような状態を、『不登校の安定期』と呼ぶらしいです。
そんなことを年末の記事で書いてみたら、いくつかのご意見や情報などをいただきました🙌
まず一つめは、私もよくやり取りをさせていただくMさんから。Mさんも小学生のお子様がいらっしゃいます。そのお子さんは高IQかつ凹凸タイプ、例に漏れず(?)小学校には難しさを抱えており登校と不登校状態を繰り返しておられるとのことでした。言い換えればMさんは、私にとってはとても頼りになる高IQ児&不登校児の育児の先輩です。
不登校のステージについては結構スタンダードな考え方です。確か6段階があって、その道筋を通るパターンが多いとか。
早速それは見てみなければなるまいな。
ご指示の通り、私もちょっと検索してみたら、確かに山ほど同じような記事が出てくる出てくる😲
例えばこちらは見やすくて、シンプルで分かりやすいなと思います(↓)
記事によれば、不登校は以下のようなステージを辿るケースが多いらしいと書かれていました。うん、我が家はまさに“安定期”というやつだ、間違いない。
- 予備期(前兆傾向)↓
- 初期(身体症状)↓
- 本格期(罪悪感あり)↓
- 安定期(罪悪感なし)↓
- 登校刺激時期(リハビリ段階)↓
- 経過観察時期(再発防止)
だけどとても驚いたのは、私たちが今いるであろう“安定期”と呼ばれる時期が、その記事内ではこんなふうに書かれていたことでした😨
安定期
不登校の6段階において最もよくない段階
安定期は本格期と同様に、子供はほとんど学校に行っていません(中略)
子どもが学校に行かないことに安定している段階ですので、不登校の6段階において最もよくない段階であると言えます。
不登校の6段階より
私は、本当に驚きました。
やっと、やっと辿り着いた安定期だと思っていました。これで少し落ち着ける、先のことを考えられる。そう思っていたところでそれが最も良くない段階と言われてしまっては、さすがに私も困惑します。あんまりじゃないか!😭とさえ思いました。
我が家でも、“混乱期”はかなり大変だったと思います。そんな時期を乗り越えて、親子の心身が共に安定しているのだから、そんな束の間の安定と幸せに浸らせてくれたって良いんじゃないか?
モヤモヤの気持ちが募っていきました。本当に、一つ乗り越えたら、次、次、と、気持ちが休まる暇がありません。
だけど同時に、その休まらなさこそが不登校児の親の辛さの本態なのかもしれないなと思いました。
不登校の初期の頃には、常に悩んでいる状態です。行き渋る子供を休ませた方が良いのか、休ませた後はどうなってしまうのかが見えなくて、子供を守りたい一方レールから外すわけにいかないという現実と社会の間で親は板挟みになっています。毎朝が予測不能で親子共に精神的な安定も、日々のペースも作れないことが辛いです。(←そういえば、我が家の場合は息子が『もう行かない』とスパッと言っていきなり行かなくなったので、この点だけはそれほど大変ではありませんでした。)
子供が学校に行かなくなってからも、子供の家での生活を支えるために親の時間も体力も消耗していく一方です。親が仕事をしていれば調整も、場合によってはより大きな環境調整が必要です。この頃の私が地味に辛いなと思ったのは、毎日申し訳ない気持ちで学校に欠席の連絡を入れ続けたことでした。スマホの発信履歴は学校だけでズラリと埋まり、私たちの360度周囲に広がっていたはずの社会がどんどん収縮していくことを感じました。これがボディーブローのように効きました😭他のお子さんは元気に問題なく通っているのにという、敗北感や屈辱感にも似た感情が湧いたこともありました。疲弊し続ける日々でした。
いつまでこの状態が続くのかもわからない。そうなってくると、子供のために頑張りたいけど何をして良いかが本当にわからなくなってきます。親は情報を求めて動き続けたい気持ちですが、その行動に意味があるのかとか立ち止まりそうになりながら、それでも動くしかないという強迫観念のようなものも感じています。自宅に帰れば、論理で全く理解不能な振る舞いを見せる子供に対する抑えられないイライラをグッと押し込め続けながら、自分の時間や感情さえも優先できない、私が一体何をしたのと誰かに問いたい状況です。こんな状態が続けば続くほど、親も子も精神的にとても危険な状態になっていくことは容易に想像できるでしょう。
だけどある日。
そんな混乱した気持ちが晴れて、ふと視界が拓ける日がやってきます。気持ちもストンと楽になります。子供の良い面を再確認できたことなどがきっかけです。
あぁ、良いじゃん。今の我が家はすごく落ち着いて過ごせている。幸せだ。
良いんじゃないか。息子は息子、そのままで。
他のお子さんとは違っていて当然だ。だってうちの子なんだもの。彼は決して悪い子じゃない、むしろ昔から素直で良い子のままだった。彼はずっと私の自慢の息子だった、忘れかけていたそれを思い出すことができて幸せだ。彼は彼らしく健やかに育ち、自分なりの幸せをどうか見つけていってほしい。それだけが親の願いだよ。それまで家に居たって良いんじゃないか?彼が自分でどんな道を見つけていくのか楽しみだ😊
私は、そう感じた瞬間が、不登校の“安定期”なのだと思っていました。
とても良い時期だと思っていました。
だけどちょっと調べてみたら、専門家っぽい印象のページが私たちの幸せを『最も良くない時期』だと書いていたからショックでした😭
世間は、どれだけ親を苦しめてくるものか。これが不登校児を支える親の最大の苦労だと思いました。
だけどまぁ、これは、あれだね。
時代錯誤な残存物だろうとは思います。
例えばかつて、私が子供の頃だった30年以上前は『不登校』は『登校拒否』と呼ばれた時代で“悪”でした。安定期=悪いという考え方はその頃の名残であると解釈すれば、十分説明可能です。気にしないことにしておきましょう👍
事実、息子の教育相談を担当してくださっている臨床心理士さんも極めて前向きなトーンで『不登校の安定期』という言葉を使われていたと思います。
不登校の“安定期”に入っていますね。不登校の開始から半年も経たず安定期に入ったことはかなり良いペースと言えるでしょう。
もちろんこの時も同時に、
もちろん、今のままでいいわけではありませんが、〜
とは言われています。それでもこの時の臨床心理士さんは、私たちが安定期まで辿り着いたこと自体はとても評価してくださっていたと思ってる👍
これは喜んで良いことなのだと思います。
また、不登校の安定期に関する当該記事をお目通しいただいた方の何人かからも、このように喜んでいただけるメッセージをいただきました。共感してくださる方がいて、私はとても嬉しい気持ちでした。
不登校の安定期の記事も、我が事のように嬉しく読ませていただきました。我が家にもいつか来るのではないかと日々感じております。親も子どもも安定していられる幸せ、いいですよね。
高IQ児のお子さんの不登校を乗り越えられた方が、当時を振り返りこんなふうにおっしゃっていたことが私はとても印象に残っています。
親として、必死でした。主人には息子より君の方がおかしいと…。
確かに今思えば「狂気の沙汰」でもね、今振り返っても私がそのように動いた事も後悔なく、それもあって息子は私が必死に息子のことを思い守ろうとした事、今ではとてもわかってくれています。
道のりは平坦ではないのでしょう。
皆、必死で動いていて当然なのです。
そんな狂気の沙汰のように動いている親に、横からプレッシャーをかけるようなことはなるべく起こらなければ良いなと思いました。
親だって、完璧ではないの。
例えば“不登校の安定期”も、『最も良くない時期』ではなくて、『まずは一旦お疲れ様期』とか書いてくれたら良いのにね。
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