みなさんこんにちは✨
ちょっと今日は最近読んだ書籍のご紹介方々、息子の過剰激動(Overexcitability: OE)の特性と、彼の“怒り”のような感情の背景に思いを馳せたいと思います。
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↑漫画もあるよ。
一読し、息子にも当てはまる部分が多くあるように感じました。今日のキーワードは“認知の歪み”です。
ケーキの切れない非行少年たち
息子の癇癪の裏にある“怒り”を想像する
例えば、息子が癇癪のような、まさに瞬間的にカッとなるような感情の激動を示す時。
場合によってはそれは本当に(他者が見れば)“些細なこと”だったりもするのです(↓)。
なんとも困った特性です。早いうちから理解を示し、本人にも自覚を促していかねばなりません。
その過剰激動の背景の一つとしては、息子はまだまだ精神的に幼いのだろうと考えることが可能です。すなわち“嫌な気持ち”を“怒り”に直結させて癇癪を起こす、それこそがまさに幼児の特徴に他なりません。“非同期発達”とも言うらしいですね。ある側面(息子の場合は例えば語彙力など)での発達は早い一方、他の側面(感情統制など)では著しく遅れていたり。これも彼の特性の一つだろうと思います。
もしくはもう少し違った視点で見れば、“嫌な気持ち”が他人のそれとは比較にもならないほどに大きいこともあり得そう。
その可能性には、私は当サイトを読んでくれた友人からこのようなアドバイスをもらったことで気が付くことができました。
性格にもよると思いますが、子供が集中している時の思わぬ中断は「50m走を全力で走っている時に急に走るのを誰かに止められるようなくらい嫌なもの」と聞いたことがあります。
なるほど、息子には過集中の特性もありますので、特に好きな読書を無理やり止められたとなった場合には本当に我慢がならない!という気持ちになり得ることも想像できる気がしてきました。
息子は難儀な男です。感情のコントロールはとても大事なことなので必ず身につけなければならないスキルですが、そんな彼の大きな“嫌だった気持ち”をもしっかり汲んでやろうとする対応も大切だろうと感じました。
認知の歪みと感情統制力の弱さ
さて、そんな怒りと感情統制に関することを知りたくて、最近私はこのような書籍を読みました。少し前に流行った本です。勉強になることが多く書かれてあり、読んで良かったと思っています。
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本書は児童精神科医である著者が医療少年院で出会った非行少年から考察されたことが書かれています。本書は特に“境界知能”の人に焦点を当てて書かれていますが、私はこれは決して軽度の知的障害を持つ方だけに限定された特異な話ではないと感じました。
医療少年院:発達障害や知的障害などを持った非行少年が収容される場所とのこと、境界知能:IQ70〜85未満と定義され、現行では知的障害とは診断されないが支援が必要な人のことを指す言葉です。
自閉スペクトラム症を俯瞰しても、また、ニューロダイバーシティの観点からも、神経学的多数派の方も含めた全ての人は、まるでスペクトラムのような連続性を持っています。誰しも根っこでは同じ特性を有していると思うのです。その表出の仕方や程度が少しずつ違うと言うだけで。
そのような意味でも、本書の内容として書かれることは、大なり小なり誰にでも関係のあることだろうと私は明確に感じました。
本書の主な内容は、『非行(問題行動)の本質には、認知機能の未発達がある』ということです。
診察を続けていると、彼らは何に対しても「イライラする」という言葉を使っていることに気づきました。(中略)。実は、彼らは感情を表す言葉として「イライラ」しか知らないのでした。
第二章より、 そもそも反省ができず葛藤すら持てない
自分のことを正しく知ることが更生へのスタートだからです。(中略)
しかし私が驚いたのは約8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と答えたことでした。どんなにひどい犯罪を行った少年たちでも同様でした。(中略)
いったいこれはどういうことなのか。これではとても被害者遺族への謝罪などできるはずがありません。
第二章より、 自分はやさしいと言う殺人少年
すなわち、この非行少年たちには認知の歪みがあるのです。
認知の歪みとは、見たり聞いたりする力が弱いこととさらにそれらを補う“想像する力”が弱いために『自分が見ている世界』と『他者から見た世界』に乖離があるという状態です。そのことが本人に被害感や不公平感、困り感を募らせることになり、“不適切な行動”につながっていくと考えられると書かれていました。
加えて、感情統制力が弱いこと。
大人でも混乱すると判断に影響が出ますので、感情のコントロールはとても大事なことなのです。
だけど気持ちを言葉で表すことが苦手だったり劇症的な感情爆発を起こしやすい人にとっては、不快な事態から自分の中で起きる混乱の正体を理解できず、この混乱がやがてストレスとなり蓄積していくことが想像されます。
そのように、認知の歪みによる世界の見え方が違っていることと感情を上手く処理できないことは、不適切行動の一因となるということです。
息子の癇癪の背景にも、認知の歪みがあるだろう
本書を読み、私は息子の癇癪の背景にもこれらの“認知の歪み”とストレスに対する“感情統制力の弱さ”があるだろうと感じました。大いに頷きながら読みました。
例えば、息子の先日のお友達に対する態度もそうです。
息子は自分だけが点数が取れなかったことやその他のストレス等を背景に、感情の統制がうまくいっていなかった。
そこで癇癪を起こしてしまったが、そこでは『彼の見えている事実』と『周りからみた事実』が異なるという、認知の歪みがあったのです。だから息子は自分で悪いことをしたと思っていないし、私は彼に反省を促すことができません。
この件に限らず時々感じることですが、息子と私は同じものを見ていないことがあるのです。視点がお互い“ねじれの位置”になっていて、だから会話が通じないことが起きている。ここを修正しないことには互いに理解し合うことは難しいなと、そう思い至ることができました。
見える世界を同じにしたい
本書を読み、息子の怒りと癇癪の背景においても“認知の歪み”の影響がありそうなことと、そしてそもそもの認知が歪んでいるのだから、頭ごなしに叱ってみたりこちらの考えを押し通そうとすることは悪手であると十分理解することができました。
これについてはなんとか修正、すなわち見える世界を同じにしていきたいところです。
そのために大切なことは、その都度息子の話を聞き、そこにある感情や考えをしっかり言語化させていくことがスタートになるのではないかしら。
そうすることで、息子自身に問題となる行動を起こしてしまう現実の自分に正しく気づいてもらうこと。そうして調整を測っていくことしかできないのだろうと思われます。
それを重ねるうちに、息子がより良い自分へ変わろうとする“自己への気づき”だったり“自己肯定感の向上”へとつなげていくことが出来たなら、きっと息子はぐっと成長するのではないかと感じることができました。
ちなみに本書においては、学習の土台となる認知機能向上への支援方法(下記書籍をご参照ください↓)も書かれています。
また、もう一つ面白かったトピックは、これまで安易に言われていた“褒める教育”についても『本当にそれで良いのか?』という問題提起がなされている部分ですね。“認知の歪みがある状況”と“褒める教育”は互いに相性が良くなさそうです。この点についても学ぶところが大いにあり、息子の癇癪をまた一つ大きな目で捉えることができるようになりました。
とても勉強になりました。
未読の方は、境界知能や知的障害というワードにとらわれず、どうか自分ごととしてご一読されることをお勧めしたいと思います。
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