みなさんこんにちは✨
今日はちょっと最近感じることを徒然と。
一昨日の記事で触れましたように、私の息子は物事の捉え方が人並みとはちょっとズレている。時には“余計なこと”に気づいてしまって、それに囚われて動けなくなってしまっている。そう感じることが時々あります。
だけどね、最近の私はこれって本当に彼の“発達障害”の特性による影響だろうか?とも感じています。
一昨日の記事のみならず、そういうことはこれまでにも多々起こりました(↓)。
すなわち息子は物事の捉え方が部分的にしか見えない(マインド・ブラインドネス)のではなく、彼にはもっと、もっと本質的なところが見えてしまっているケースもあるだろうと感じています。
そのような事例の場合においては、彼の場合は“発達障害”の特性よりも、“高IQ”の影響の方が強く出てしまっているのではなかろうか。
つまり私は今、
息子は、本当に発達障害の対応で良いのだろうか?と悩んでいます。
それとも、もっと高IQに起因する困難に焦点を当てて、違うアプローチの対応をしたほうが良いのではないか?
かつて。
新型コロナウイルス感染症の流行によって息子が大きく崩れた時に、息子は専門機関で心理検査を受けました。
その結果、彼はかなりの高知能(高IQ)であるという事実が分かりました(カテゴリ間では凹凸有り)。また、私は自身で検査をしたことはありませんが、子供の頃の集団検査(←私の世代はありました)で私自身も小さい頃から高IQだと言われてきました。なるほど、私と息子がよく似ているのはやはり頭脳構造上極めて近いものがあるからだ。
ものの見方が違うこと、記憶力、好奇心、イマジナリーフレンドが存在することなどなどの、ちょっと聞き及んだ“ギフテッド”の特徴(←詳しくないです。ネットで見ただけの浅い知識で恐縮ですが今日のところはご容赦を)に私と息子はよく当てはまります。
考えを深めていけば、
そんな高IQの特徴こそが、時に私と息子に困難を及ぼしてきたものの本態だったのではなかろうか。
今の私は段々とそう考えるようになっています。
“ギフテッド”という言葉がありますね。
私は以前に当サイトを介して知り合うことができた、まさにギフテッド児をもつお母様とお話しさせていただいたことがありました。その息子さんが今の私の息子の年齢と同じ頃、適した教育をお子様自らが求めたために母子でカナダへ移られたということでした。オンラインで色々とお話をさせていただき、この経験は私にとって学びの多いものでした。
その時に教わったことに、私は大きな納得を得ることができました。
こちらでは、ギフテッド=障害との認識です
そうなのです。
高知能はそれ自体もまた、対応を要する『障害』とみなされ得る特性です。
ギフテッドについては東京大学の池澤先生のご解説がわかりやすいですね(↓)。これもまた難儀なカテゴリだと思います。
その障害は当事者に大きな不安定性を惹起して、その長い人生において高知能は『吉』と出るか『凶』と出るかが全く読めない。だから、突出した部分の能力に対して適切な対応を要することとされていて、だから、海外においてはギフテッド教育というのも存在するのだと今の私は捉えています。
最近の私は息子を見ていて、息子の癇癪のような過興奮性、さらには息子の特性の多くの部分がこの“高IQ”で説明可能なような気がしてきています。
彼は本当に発達障害なのか?
もしかしたら、彼にはもっと他のアプローチが必要なのではないだろうか。
自閉症スペクトラム障害や注意欠陥多動性障害などの「発達障害」と誤診され、その能力を生かした適切な支援が行われていない現状もあります。
Gifted:ギフテッドより(東京大学池澤研究室)
そう、私はその“その能力を活かした適切な支援”というものをしたいのです。
もちろん息子にはくるくる回ることや部分的なコミュニケーションの障害もあるので自閉スペクトラム症の傾向もあるのでしょう。
だけどそういうことはどうでもいいの。
“発達障害”とか“ギフテッド”とか、そういう字面は些末なものです。そういう取り敢えずのカテゴリ名称に私は全く興味はないです。
私は知りたいのです。息子が息子らしく育つために、本当に必要なことはなんなのか。
どうすれば息子の自己肯定感を高く高く育めるのか。
とにかく、今の私は息子の特性を詳細に正確に理解して、本当に彼のためになる対処や配慮について考え直す必要があると思っています。
と、最近はそんなことを考えています。
これについては引き続き情報を集めて検討していくこととして、また心境の変化や状況の変化などが起こった際には記録していこうと思います。
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