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発達障害: 大人になればマシになる?-私の場合 その5

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息子の特性を理解する

みなさんこんにちは✨

今日も当サイトを見にきてくださり、ありがとうございます✨

さて、今日は先日の続きをまた少し書こうと思います。

先日、私は当サイトの記事(↓)で

と書いたことをきっかけに、『では同じような発達障害傾向を持つ私の特性は、成長に伴いどうやって丸くなったのか?』というコメントを投げかけてもらいました。

そこでここ最近は私自身の特性について考察し、私の意識が変わったきっかけを追っています。

今日で“その5”となります。

わたし
わたし

高校生の時に初めて海外に行き、私の価値観は大きく転換しました。

高校生活において

困難と補正

高校生頃にもなれば、自分も周りも多少は大人になっています。それまでと比較しても、随分と周りが多様であることに寛容になってくれるのかもしれません。

おかげで私は“自分らしく”あることを受け入れてもらえる環境にあり、かつ私は周囲の理解と助けを受けながら少しずつ自分を“補正”していくように困難を自覚し成長しました。

困難の一つは部活動。

私は高校からバドミントン部に所属し、バドミントン自体はとても楽しく熱中しました。部活動の中での友達にも恵まれ、私は中学生の時からバドミントンをしていたという上級者をこれでもかと観察することで自分なりの理解と解釈をつけながら自分のペースで練習しました。

『なるほど、バドミントンの上達には背筋のトレーニングが重要だ』

そう気づけば私は自分の背筋の使い方を研究し、得た知見から体育館の姿見の前で自分の体の動かし方を調整しながらバドミントンの動きを習得していきました。

強いスマッシュを打つにはこう、サーブを綺麗に決めるにはこう。

一つ一つを、自分なりの理解に基づき毎日集中して練習しました。どんどん動きはスムーズに、ほどなく私は、大人になった今でもバドミントンを楽しめるくらいにまでは上達しました。

しかし、バドミントンは上達するのに、なぜか部活動の中でダブルスのペアを組んでくれる人がいませんでした。

一時的なゲームではダブルスの試合に参加しますが、チームプレイがどうもあんまり上手くいかない。私は事前にダブルスのペアでの試合の仕方を周囲に聞き、こういう時は前衛が打つ、こういうときは後衛が打つし、サイドに広がるのはこういうとき。一応理解はしていました。

しかし実際はどうにもチグハグだし、やっぱり頭で考えてから動いているので試合のスピードについていけてなかったのだと思います。

さらにペアの人から見れば私がなんだかとても不機嫌のようにも見えたらしく、何人かは私とダブルスのペアを組むように指示された人が次々退部をしていった時期もありました。

あまりに私のダブルスペアの人の退部が続いたため、部活動顧問の恩師がその子に聞いていました。

『退部は、バドミントンの問題なのか?それとも大西がいやなのか?』

その子は『大西が嫌です』とは言うことなく、自分の問題なのでと退部をしてしまいました。しかし今思えば、私はやっぱり何かしらの“違和感”を発していたのだろうなぁと思います。

そんなわけで私はもっぱらシングルスの試合にのみ出場しました。シングルスは戦略も防御も自分1人で対処すれば良いので気楽でした。私は、バドミントンがとてもとても好きでした。

 

そういえば、こんなこともありました。

私は何かの用事で職員室に行って、たまたまあった封筒が目につきました。封筒には何も書かれていなく封もされておらず、私は『なんだろうね〜?』と自然に中身を見てしまいました。

すると、それは誰かの個人的な体調に関する診断書のような書類でした。

そこで私は思った。『これ、もしかして見ちゃいけないやつだった!?』

そう思ったところで遠くから教務の先生が怒ってすっ飛んできて言いました。

『職員室に置いてある封筒を、勝手に見るもんじゃない!』

今の私はどうしてこの時怒られたのかは重々理解できるしすべきことではないとわかるのですが、当時の私はすごくびっくりして混乱してしまった記憶があります。

私の心の中はこうです↓。

そうは言うけど、置いてあるのか放置されてるのかわからないような在り方だったよ。だったら引き出しにしまっておくとか、宛名や「親展」くらいは書いておくべきなのに、私が悪いみたいな言い方はひどいんじゃない?

 

まぁ、こういうところなんですよね、きっと。“ちょっと考えればわかるでしょう?”とか“常識が通じない”って言われちゃうところって。

認識にはやはり少しのズレがあるんでしょう。

だけどきちんと“やり方”を教えてくれれれば、もしくは丁寧に説明を言われれば以降は気をつけることができるのです。言われて納得したことを私は忘れません。

こうして私は自分の困難を認識し、徐々に補正をしてきました。

 

高校生の頃の様子は以前にも少し書いていました。是非併せてご参照ください(↓)。

初めて海外に出て

あまりにも多様な人に出会いすぎた

私が進学した県立高校は普通科がメインの高校でしたが、当時さきがけとも言えた『国際コース』が設置されていました。

アメリカ合衆国オレゴン州に姉妹校として提携している学校があり、毎年全校から数名が“海外研修”として行き来します。

高校2年生の春、私は幸運にもそれに参加させてもらえることになりました。興味があったので、行ってみたい!と自分で進んで手を挙げました。学内での成績は良かったことが幸いし、問題なく参加者として選んでいただくことができました。

 

私は意気込みました。

まず、パスポートというものを取得しなくてはならない。ホストファミリーが決まって、連絡のやりとり(←当時は手紙です)をしなくてはならない。挨拶はなんて言う、お土産になにかプレゼントを買いたい、そうだ、浴衣も持って行って向こうで着ようなど、全て自分で、または同行メンバーで話し合って決めました。

海外研修の準備かなにかの会にて。私の顔つきがもう暗くない。

他人の家で生活させていただくことは、日本でさえもほとんど経験がないのに海外です。きっと文化も違うだろう。私はかなり緊張していましたが、とても楽しみにしていました。

アメリカポートランドにて。伸び伸びと自由に過ごす私。

渡米して、私はなんとかやっていました。

だけど、毎日が驚きの連続でした。

まず、なんか色々スケールがでかい。人の体も大きいし、彼ら/彼女らの笑顔も満面です。日本人は(富山県民は?)こうは笑わない、と言えるほどの満面の笑顔に私は圧倒されました。

また、ホストファミリーの家には同じ年齢の男の子に加え、歳の離れたお兄さんと、歳の離れた可愛い妹さんがいらっしゃいました。

妹さんは7-8歳くらいだったかな?と思いますが、私は彼女のあまりにも自信みなぎる振る舞いに、毎度毎度驚かされました。

たとえば、『私は側転が得意なの』とサラッと言って、彼女はその辺でピョンと側転をするわけです。

側転はまぁ年齢のわりには上手にできたと思いますが、私が『ふーん』と見ていると彼女はピッと体操選手のフィニッシュポーズのようにポーズを決めて、『私、素敵でしょう?✨』って言うわけです。

びっくりしました。

自分が素敵であることを知っていて、しかもそれを誰にでもアピールできるほどの高い高い自己肯定感。

当時の私には、初めて出会う衝撃でした。

そのご家庭では、1日に何度も、タイミングのある限り子供達を褒めていました。滞在中、私は何度も、これでもかって言うほどにその子の側転を見たし家族が大きな笑顔で喜ぶ様子も素敵でした。

 

高校に通い始めました。季節は春で、もうすぐSt. Patrick’s Day(聖パトリックの祝日)があるためその探究授業から始まりました。どんな祝日なのか私は全く知りませんでしたが、ここでも驚きの連続でした。

私はグループでアイルランド人の女の子と一緒になりました。

彼女は『St. Patrick’s Dayについて調べましょう』と言われているのに、ずっとアイルランドとさらには自分のルーツについてを話しました。

私の家はどれくらい前の世代まで記録が残っているとか、アイルランドの国旗の意味はこうであるとか、私の祖母はこういう人であったとか。

え、ちょっと待って。さっきからずっと、ナニヲイッテルノ!?

私はそばで聞いていて、めちゃくちゃ混乱しました。課題の指示に従っていないことを延々と喋っているように見えたのです。日本なら絶対にクラス中でヒソヒソ話が始まって、居たたまれない雰囲気になりそうです。

だけど彼女のプレゼンは続きました。そして、合間合間でこう言っていました。

『私は、自分のルーツをとても誇りに思っている』と。

プレゼンが終わり、クラス中が彼女の発表を誉めました。さらには学んだことや疑問点をフィードバックして、彼女はそれに一つ一つ答えていました。

私は、同世代の女の子が自分の考えで自分の意思を発信すること、そしてそのあまりにも堂々とした姿勢、さらにはそれを受け入れるクラスの雰囲気に、なんとも言えない心が動かされることを感じました。

 

昼食はホストファミリーの方が作ってくれたランチバックを持っていき、私は同じグループだったそのアイルランド人の女の子と一緒に食べました。

そこでもたくさんのアイルランドの話を聞きました。

もうすぐ来るSt. Patrick’s Dayは緑色の物を身につけて祝う日です。彼女は日本から来た私が緑色のものを持っているかととても心配してくれました。

『もし何もなかったら私に言って!緑のペインティングをしていこう🤗』と彼女は誘ってくれました。

その時はたしか何かしら緑のものを持っていたので『大丈夫だよ〜』と断ったような気がしますが、当日彼女はまさに緑!顔や手足を緑の絵の具でペイントし、衣類もとてもカラフルな素敵な装いで現れました。

日本なら、気がふれたのではとでも思われるような?とにかく驚かされる、そんな奇抜な装いでした。

だけどそんな装いで祝日を全力で楽しんでいる人たちの中で、彼女は全く“普通”であり、異様でも異常でもありません。なんならもっとすごい人もゴロゴロいます。

“人と違うこと”は異様ではない。

自分の信念を堂々と表現することはとても素敵だ。

私はこの時、そう感じました。

 

アメリカに滞在中、私は他にもこのような経験を多くしました。

海を越えただけで、こんなにも土壌が違うのだと私は心から驚きました。

 

そんな数週間を過ごしてみて。

こんなに長く自宅を離れたことは初めてだったので段々と日本に帰りたいという気持ちは湧きましたが、私の世界観はこれまでとは比べものにならないほどに広がりました。

私は私らしくいれば良いのです。

世界は広いし、自分次第でどこまでも歩いていけるのだと知りました。臆する気持ちは荷物にしかなりません。全ては自分次第であるとさえ思いました。

そして保守的な親、親戚、県民性、生きづらさ。これらは私の問題ではなく、周りのせいだと思うこともできました。

こうして私は自分の中の“強さ”を感じ、それに自信を持つようになりました。

 

今日はここまで。お付き合いくださりありがとうございました。次回は大学院及び博士号を取得してからの衝撃について書こうと思います。

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